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本拠は http://m4oism.org/xxx

上海の歩き方

以下、2007年3月上旬の記録

◆上海の歩き方1

ニクソンだけが出来たと言われているけれど、あなたも出来る!』
という訳で、初の訪中旅行をした。海外渡航も3度目で無難なよう
レールを敷いたつもりだった。しかし、帰国の飛行機に置き去りに
されてからは苦境の連続であり大陸に身を移しても、私の頭上にあ
る不幸の星は輝き続けた。

知っての通り中国は広く地方によって言語も民族性も異なる。私の
行った範囲で見聞きし、感じたことを書くのでこれから中国へ旅立
つ人の参考になれば幸いである。訪問先は上海市(人口約1600
万人)とそこから内陸に100kmほど奥にある江蘇省・蘇州市(
人口約600万人)。当時のレートは1元=16円ほど。

■入国から市内まで

3/5、中部国際空港から15時に出発、16時に東浦国際空港に
到着。時差は-1時間。入国審査ではパスポートは無論、他に『入
国カード』『税関申告表』『検疫表』の提出が必要。ガイドブック
に載っている物より若干更新されているのでよく見て記入。特に質
問されるようなことは無かった。上海市内までリニアで10分足ら
ずだが、中心街へはさらに地下鉄に乗る必要がある。リニア乗り場
は空港から少し距離があり、分かりにくいので迷わないように。空
港近辺の施設は割と英語が通じる。元への両替であるが空港にいく
つか銀行がありそれぞれ手数料が異なる。3泊4日ほどならホテル
等の支払いは除いて、2?3万円くらいの換金で充分だろう。

中心駅の『上海駅』や『人民広場駅』はかなり混雑している。切符
窓口は長蛇の列でかなり時間を要する。券売機はあるが高額紙幣は
使えず、大半が釣銭不足で『COINONLY』となっている。両
替機があるとガイドブックに書いてあるが見たことが無い。小銭問
題は終始ついて回るので可能なら日本で特に1元硬貨を多く調達し
よう。ちなみに上海の地下鉄はカード式で、改札機の平面の読み取
り部分に当てて入る。出る時は改札機の下にある挿入口に差し込ん
で通る。

そして有名な『列を作らない』『割り込み』である。笑ってしまう
ほど露骨なので、郷に入らば郷に従えで一つコツを紹介しよう。『
共産中国では、順番があなたを守る!』と言う訳で、基本的に2人
以上の列は存在しない。今カネを払っている者とその『横』に立っ
ている者までである。後ろに立っている者は並んでいるとは見なさ
れない。上手く側面にポジションを取り、素早く券売機を手をかけ
よう。何度も見たし、自分も何度かやったが特に揉めたことは無い。
そうしないと混雑時はいつまでも買えない。(コンビニや売店等も
同じだが、時と場所の考慮は必要だ)

■最悪の交通事情

私の知る日本、オランダ、台湾と比べて上海の道路事情は劣悪だ。
交通整理員の居る道はまだ安全だが、それ以外は無法地帯に等しい。
前後左右から車、バイク、自転車、人が引っ切り無しに迫り来る。
慣れていないと接触事故は十分にあり得る。また、まるで呼吸する
かの如くクラクションを鳴らすのでかなりうるさい。存在を知らせ
る為の物なので要らぬストレスを感じぬように。因みに大きな道路
は交通量が多く、横断歩道が無い場合が多いので遠回りのように見
えても地下道を使うと確実に渡れる。

地下鉄は市内全域を網羅している訳ではないので、目的地までかな
り歩く場合もある。バス停は至る所にあり早い内に乗り慣れると便
利だが、バスには空調無と空調有の2種類が有り、空調無は1?2
元程、空調有は3?4元と料金に差がある。私見だが空調有が大半
のように見えたので3?4元くらいと考えた方が良い。タクシーは
意思が通じず2度ほど乗車拒否され諦めたので感想無し。

重要なポイントだが、上海は再開発ラッシュで工事中だらけである。
新しい地図でも道路が工事で通れなかったり、建物や施設が移転し
ている事が多い。特に私を窮地に追いやった国際フェリー乗り場は
かなり複雑な位置にある。事前に確認するか、分からなかったら迷
わず警備員やそこらの人に聞こう。中国人はガンガン道や停車駅を
尋ねてくるので気にする必要は無い。

また中国の交通機関はシビアだ。駅など入場制限が厳しくホームに
は係員の指示が無いと入れない。時間厳守でギリギリは、かなり危
険な行為だ。飛行機は40分前に搭乗手続きが必要だが、1時間切
った時点ですでにカウンターが閉められ、探し回っている内に交渉
する余裕も無く遅刻にされた。腑に落ちない点はあるが、空港には
3時間前に待機という原則を軽視した私の落ち度とする(航空会社
は中華国際航空・エアチャイナ)。

■ホテルと買い物

私の泊まったホテルは正規旅程で3泊、帰国延長時の2泊、フェリ
ーの1等室2泊である。初めの3泊はHISで予約した日本語スタ
ッフの居る3ツ星で、人民広場駅まで徒歩5分。1泊8000円で、
探せばもっと安いホテルはあるが、数が多く絞り込みが難しいと言
う。ホテルでは予約証書とパスポートを提示し、保証金(デポジッ
ト)として100元を払うがこれはチェックアウト時に返金される。
受付スタッフの日本語は単語レベルだったが、英語は聴き取りやす
く問題は無かった。また今まで行った国のホテルと比べ身元のチェ
ックが細かい、これは国柄であろう。部屋は清潔で、タオルなども
宿泊分用意してある。風呂はシャワーのみである。水はかなり臭く
飲めない、備え付けのポットで沸騰させても飲めない。飲料水は市
内で1?2元ほどで買えるので常備しておきたい。

延長時2泊は所持金が少なく選択の余地が無かったので、フェリー
会社に紹介してもらった安ホテルだったが、受付スタッフの英語は
なまりが強く私の意思もまったく通じなかったのでかなり苦労した。
イレギュラーな事態だったので形振りかまっていられず強引に部屋
を確保した。部屋は値段相応だったが、風呂は浴槽付きで嬉しかっ
た。またマッサージ(性行為も有りだろうが)は要るか?という電
話がかかってきたが打ちのめされていたのでノーサンキューで切っ
た。安ホテルならではであろう。

私は粗食なので海外に出てもメシはコンビニである。上海市内には
至る所にコンビニがあり、深夜もやっているので生活用品には困ら
ない。しかし注意点は多い。釣銭不足からか金額きっちりで支払い
を要求してくることが多く、無いと言うと勝手に品物を足して帳尻
合わせをする。また外国人と分かるとボロボロの紙幣で釣りを出し
てくる場合があり、高額紙幣とボロい紙幣は拒否されることが多い。
店によっては品質の悪い食品もあり、飲み物がまったく冷えてなか
ったりする。信用できる店もあるのでダメだと思ったら別の店にし
よう。私見だが、ファミリーマート(全家)は接客も品質も良かっ
たので見かけたら入ろう。

■治安

上海はかなり寒く、行動は主に昼間だったので深夜に街へ出ること
は無かった。ただ正規旅程のホテルで深夜3?4時頃、数十発の銃
声がしてパトカーのサイレンが鳴り響いているのを聞いた。状況は
分からないがかなり派手な発砲だった。街頭で奇声を上げている人
間の数が、東京より3割増しだが基本的に人畜無害。その奇声はク
ラクションですぐに霞んでしまう。昼間の治安は、警官も頻繁に見
かけたりして悪そうには見えなかったが夕暮れにかけて出没するポ
ン引きやキャッチセールスはかなり悪質だった。卑猥な単語を大声
で言いながら、200?300mは余裕で付いてくる。南京東路な
んぞ行かない方が良いくらいだが、体に触れてくるような奴に遭っ
たら走って振り切るべきだ。旅行中これが一番不快だった。

以上、実体験による滞在時の予備知識でした。次回は上海の名所や
エピソード、蘇州の水郷とハードスラムで展開したスラップスティ
ック、そして悪夢の日本帰国行について記したい。


◆上海の歩き方2

「上海か。クソッ、ここはまだ上海だ」やる予定など無かった地獄
の黙示録ウィラード大尉の物真似をする。おんぼろホテルの一室に
二日酔で目が覚める。人海の中に今一度分け入って闊歩する気力な
どもう無かった。

1週間振りに日本に戻り、その狭い国の中でも最も乱雑と呼ばれる
大阪が借りてきたペット動物のように大人しく感じる。人は不自由
であるから行動的になり、また自我や個を強く維持しようとする。
中国からの出国審査を終えた時は心底、肩の荷が降りた気がしたが
あのワイルドというか、奔放というか、野蛮というか自由な空間の
中では決して醸成できない喧騒と混沌は真にファンタジー。今では
ノスタルジーすら感じる。人間性を異する点では今までで一番外国
に行った気がした。

人の海へのスキューバダイビングと言うと何のことやら分かりにく
いが私の中国行はそんな言葉で結論付けられる。以下、自分の廻っ
た中で行くに値すると感じるポイントを紹介したい。

上海市

多くの意見と同じく上海はビジネスの街という印象が強かった。近
代的なビルが立ち並び特に企業アピール的な看板が目立つ。出発前、
かつての上海は姿を消しつつあると聞いたが、古い街並みは無尽蔵
に思えるほど残っており「100年前にタイムスリップ」した気分
は十分に味わえるので是非、徘徊して頂きたい。

『旧上海城内』
古くからの居住区で東西に走る方浜路周辺は往来が多く、活気溢れ
る下町である。解体と再開発も進んでおり、脇道にそれるとそこら
中に瓦礫とゴミが散乱しまるで爆撃を受けた直後のようで、姿を消
すどころか過去の混乱をより彷彿とさせる。部分的にスラム化して
いたり廃墟が連なっている場所もあり、気軽に入れるのでその辺り
の趣向には堪らないポイントであろう。

東の方には観光客向けの土産物屋がたくさんあり、毛沢東グッズや
共産党グッズガラクタから骨董まで色々売っている。ボラれるので
根気よく値段交渉しよう。例を挙げると毛沢東語録(日本語版)は
ある所で80元(言い値130元)で買ったが、土産用に別の店で
買ったのは20元(言い値40元)だった。コツとして商品の汚れ
や欠けを指差して苦い顔をすると値が下がりやすく初めに高目の商
品を買い、店員が袋に詰めてから後付けて細かい物を手に取ったり
興味を示すと安い言い値からスタートする。(最寄の駅は「河南中
路駅」か「黄陂南路駅」だが多少距離がある)

『多倫路文化名人街』『魯迅紀念館』
上記の2つは近い位置にあるので同時に回ろう、北から南に歩く感
じで。魯迅は私の好きな文章作家であり、どこか固いイメージがあ
るが「街のゴロツキどもが使う、汚い言葉で書いた下品な小説」と
自分自身で言い切っている中国で最もアナーキーな作家である。文
化大革命であらゆる作家や作品が理由無く迫害を受けたが、魯迅
品だけは文革を持ってしても非難することは出来なかった。紀念館
は生原稿や遺品、作品世界のジオラマや絵画などが展示され知らな
いと面白くないだろうが、館内の売店には中国作家の本・グッズが
揃っている。オススメは魯迅の代表作「阿Q正伝」と「短編集・故
郷」の日中語両方を収録した本で日本版より訳がいいので、こちら
を読むことを推奨する。

紀念館から南に歩くと「多倫路」という昔の街並みを活かした観光
ストリートがある。その東側には多倫路文化名人街と呼ばれる古民
家郡があり、観光地ではないが人々のリアルな生活観が漂い、迷路
のように入り組んだ路地をどこまでも歩くのは探検じみた童心を呼
び起こして面白い。所々に社会主義スタイルの独特な売店でジュー
ス・煙草・雑貨が売っている。スモーカーはここらで煙草を補給し、
咥えながら歩くと風情が出る。上海の居住区の特徴は、周囲を塀や
外壁で囲ってあり専用の入口でしか入れないようになっている。入
口は狭く脇に守衛が居たりして通りにくく感じるだろうが、勝手に
入っても問題は無いようで惹かれる建物があったら行ってみよう。
(最寄の駅は「虹口足球場駅」「東宝興路駅」だが多少距離がある)

『その他』
中共一大会址紀念館には党メンバーの生々しい蝋人形が置かれ、官
憲に踏み込まれた時の状況がそのまま再現された部屋など芸が細か
い。また売店には党公認の徽章やメダルなどが手に入る。(最寄の
駅は「黄陂南路駅」で歩いてすぐ)

上海書城は巨大な総合書店で、その国の文化を知るならその国の本
屋を見るのが一番手っ取り早いと言われるように、現代中国文化を
知るには外せない。音楽CD・映像DVDも豊富で値段はかなり安
い。微妙な中国のアイドルや、エロビデオの代用品と思われる外国
ランジェリーショーのDVDには笑ってしまった。特筆すべきは、
暴力映像が豊富で戦争関連の映像は日本を遥かに凌駕する品揃え。
また軍事関連の書籍は専用のフロアが作られ、各国の軍事理論まで
翻訳されている。

有名な外灘の西洋式の建築群は、確かに魅力的な風景であるが観光
地化され過ぎて強い印象は残らなかった。周囲の現代的ビルの下で
霞んで見えるのは否めない。外白渡橋からの眺めが一番良かったの
で、見るならそこからを勧めたい。

次回は蘇州と帰国、収穫物について。


◆上海の歩き方3

■蘇州市

中国は地方や内陸部で治安が悪化していると言われるが、どうやら
かつての混沌が沿岸部から内陸部に移動してしまったようだ。中国
への旅行は北京や上海より地方や内陸部の方が面白いと言われるの
は、わずか100km奥に進んだだけでも実感できた。時間があれ
ば是非、地方に足を運ぶことを推奨する。どんな困難が待ち受けて
いるか分からないが、鉄道から眺める景色だけは最高だ。蘇州に行
った目的は運河の張り巡らされた古い水郷地帯を見たかったからだ。
しかしその目的は時間の都合で中途半端に終わり、その先に私を待
ち構えていたのは暗黒のハードスラムであった。

『蘇州行き鉄道』
鉄道には「軟席」と「硬席」、長距離用の寝台車にも「軟席」と「
硬席」の4種類がある。軟席は座席が広く指定席だが、近場なら硬
席をオススメしたい。帰りの時、列車が動き出してしばらくすると
一人のオッサンが立ち上がり大声でわめき始めた。初めはガイキチ
が発作を起こしたのかと思ったが、乗客のテーブルに商品を配置し
バナナの叩き売りのような口上で実演販売を始めた。オッサンがオ
ーバーアクションで「どーですかお客さん!?」みたいな感じで、
狭い車内を右往左往するのは大道芸的な面白さがあった。こういう
のは軟席車両ではやらないようだ。

上海市と蘇州市の周辺には、古い水郷村がいくつも在り観光スポッ
トになっている。それを見に行くつもりだったが、上海駅で軟席切
符を買うと2時間先の列車になっていた。今考えると座席指定の無
い硬席の方が何本か早い列車に乗れたかもしれない。適当に時間を
潰して駅内の待合室に入る、ホームへは入場制限があり職員の指示
が無いと入れない。列車が着くと窓側の席に座る。しばらく走り上
海市街を抜けると地平線こそ見えないが何処までも平地が広がる。
緑色の大地にまったく同じデザインの巨大住宅ビルが100は有る
のではないかと思うほど立っている。これが社会主義建築と言う物
か、これはこれで爽快な眺めである。さらに進むと近代的な風景は
薄れてゆき、田園地帯を蛇行する川に木舟が浮かんでいたり、中国
服を着た子供らが水辺で遊んでいる。まるで「世界の車窓から」だ。

『蘇州市街の運河』
蘇州駅は上海に比べると田舎っぽい、人も物も。改札を出ると凄ま
じい人の海で、ガイド冊子を売るババアやタクシードライバー(3
輪オート)の怒涛の歓迎を受ける。物乞いは居ないが、タクシーの
客引きは引っ切り無しに現れどこまでも付いてくる。身体を引っ張
ってくるような乱暴なヤツもいるので落ち着いて地図を見ることも
できない。人気の無い所に退避するが、駅前は超大規模な工事中で
地図がまったく役に立たない。水郷行きのバス乗り場は地図に記載
された場所には無く、途方に暮れて迷走を開始する。駅前の道路は
渡る方法が皆無なほど往来が激しく、一時撤退し駅前の売店で飲料
水を買う。座って「南京」という銘柄のタバコを吸いながら一休み
する。片足の無い欠損少女が物乞いするでもなく通り過ぎ、どう見
ても下半身が無い男が両手で器用に歩いている。

再び道路横断を試み猛ダッシュで渡り切るが、どこに行けば良いも
のか分からず人の流れに乗って歩く。大河川がせき止められ仮設橋
が市街地に向かって延びている。そこを、どけ!どけ!どけ!テメ
エら目障りだ!!みたいな怒声を上げてオート3輪が何台も爆走す
る。日本の暴走族なんてチャチなものだ、彼らは生活を賭けてそう
している。行き当たりばったりで歩いていると目立たない所に水郷
行きバス乗り場があった。時刻表を確認すると水郷に居られる時間
は1時間も無い。万一乗り遅れると帰れなくなるので、仕方無く市
街地にある運河を歩くことで我慢する。

蘇州市街にも何本もの運河が走っており、適当な所を見つけて上海
と同じ要領で住宅区域へ入った。観光客らしい者は一人もおらず、
私はスーツにワイシャツという小奇麗な格好をしていたので、すれ
違う人も物珍しい顔をする。街並みは古く運河沿いの民家はどれも
風情が漂い上海とはまた違う趣に溢れている。細い路地から伝統的
な中国服を着た老人が、両手を互いの袖に通して前に出し、漢詩の
ような言葉を詠みながら歩いて来る。ジイさんアンタはまり過ぎで
ある。

『スラムを疾走する謎のアジア人』
足の裏が痛くなるまで散策し、風流な気分を満喫した私は蘇州駅に
帰ろうとした。前もって切符を買っておいた列車の出発まで1時間
はある。30分は余裕を持って駅に着くはずが、渡る仮設橋を間違
えたのが運の尽きだった。私が渡った橋は駅からズレており、大工
事により直接駅とは繋がっていなかった。道を戻れば良かったのだ
が、進んで迂回すれば駅に行けると思ったのが間違いだった。
高架下を通って駅の裏側に回ると、今まで見たことが無いほど荒廃
した風景になった。腐敗したようなビルと半壊した家屋が並び、や
ばい空気を感じるが人通りは多く警戒心を高めるほどではない。だ
が、時間は確実に消費しつつあった。線路沿いに歩いていたが、行
き止まりやらで迂回している内に風景は凄まじい物に変わった。そ
こらにゴミとガレキが山積みになっており、汚水があふれ出して、
焼却場のゴミ溜め場に居るようだ。その中に崩れかかった家屋や掘
っ建て小屋が建ち、住人はそこで生活している。あいりん地区や上
海のスラムとは比べ物にならない。見てはいけない物を見た気分だ
った、これは真に中国の暗部であろう。「この世の果て」と呼ぶに
相応しい、そして私は完全に道に迷っていた。

列車の出発まで残り30分になり、私は小走りを始めたが、複雑な
迷路のようで方向感覚も失った。行き止まりにブチ当たるたび走る
速度は上昇し、やがて、身なりの良い謎のアジア人がハードスラム
を全力疾走する、という奇怪な映像が誕生した。私の浮きっぷりハ
ンパでは無かった。汚水を弾き飛ばしながら走る私を住人たちは目
を白黒させて見ていた。トンネルと思って飛び込んだ所は住居で、
寝ていた住人のジジイが奇声を上げてパニックに陥り、私は急いで
逃げた。何故か謝謝という言葉を残して。小屋の軒先に吊るされ腐
敗したニワトリと、中途半端に解体されたブタの屍骸を走りながら
見る。写真に収めたかったが、もう残り時間は10分を切っていた。
大迂回しようやく駅までの目途が立ったが、5~6kmは走ったお
かげで息は切れて全身が痛い。これほど走ったのはここ10年以内
に無かったと思う。時計も見ずに改札を通りホームに向かうが、金
切り声を上げる女性駅員に制止され「もう遅い」と追い出された。
外はすっかり暗くなっていた。私はしばし途方に暮れて、また切符
を買って上海に帰った。

次回で最後、帰国について。


◆上海の歩き方4

■日本帰国

いつもそうするように、帰国の前夜は市街の中心地でビールを空け、
数日間の出来事をフラッシュバックさせながらその国に別れを告げ
る。22時過ぎ、見晴らしの良い人民広場のベンチで四方の景色を
もう1度目に焼き付ける。ほろ酔いでホテルへの道を歩き出し、地
面に這いつくばったホームレスの持つ皿に、ポケットの中の小銭を
すべてバラまく。ホテルの部屋に戻り2本目のビールを開けて、酔
い過ぎない内に荷物をまとめる。シャワーを浴びて着替え、3本目
のビールを開ける。明日の今頃は、またいつもの自分の部屋でこの
ように酩酊しているのだろう。少々のトラブルを交えながらも中国
旅行はほぼすべての旅程を終えた。私は軽やかに飛行機のタラップ
を降り、再び日本の地を踏む自分の姿を思い描いていた。それはア
ルコールが見せた幻であった。

『帰国延長』
すでに述べたように私は飛行機に乗り遅れた。恨み言は抜きだ、中
国がまだ俺に帰るなと引き止めたのだろう。JALとANAのカウ
ンターで日本行き航空券の値段を聞いたら片道8万円だった。外国
の航空会社でも大差無いだろうと思いフェリーで帰ることにした。
フェリーは片道2万円也。2日後に大阪行きの船があるのでフェリ
ー会社に電話をかけて予約する。上海市内に戻り直接チケットを取
りに行った。中日国際輪渡有限公司の職員は日本語に堪能で親切だ。
近くに安いホテルが無いかと尋ねたら、地図を書いて空きがあるか
連絡を取ってくれた。

行ったホテルは2泊で6000円と安かったが意思が通じず参った。
筆談を試みるが上手くいかず、うやむやの内に部屋は決まった。1
0時に出国して昼過ぎには日本に帰っていたはずなのにもう17時
になっていた。酷く消耗していたのでコンビニでビール(安い)を
買って何本も飲んだ。隣の部屋から中国語版『愛は勝つ』が爆音で
流れてくる。ヤケクソになり大声で合唱する。翌日は昼過ぎまで寝
ていた。外に出る気がしないので、魯迅紀念館で買ってきた本を読
んで時間を潰す。夕方に少し散策するがすぐ飽きてホテルに戻った。

『新鑑真号』
フェリー出航日、私はまた時間と戦っていた。フェリー乗り場が地
図に記載された場所に無く、どこにあるか検討も付かない。形振り
構わずそこら中の人に聞きまくった。言葉など関係無く、地図を指
差して「フェリーターミナル!フェリーターミナル!!」と連呼し
てたらギリギリで何とか辿り着いた。火事場のクソ力と言うやつだ
ろう。

この時、私はフェリー乗り場を尋ねてある中国人商社の事務所に乗
り込んだ。変な日本人がやって来て騒いでる、とその場の職員たち
は訝しげに見ていたが私が言った片言の英語が中国人には面白く聞
こえたらしく、事務所内を爆笑の渦に巻き込んでしまった、それか
らは相手も親切に教えてくれた。言葉が通じなくても、笑いやユー
モアがあれば気を許してくれるのだと思った。

ターミナルに辿り着き、出国審査を受けて乗船する。2等室を買っ
たのに何故か私の部屋は1等室になっていた、変な所で運が良い。
4月前だからか日本への留学生が大勢いる、どの国でもガキという
のはうるさい。出航の時間がきて船が動き出す。大きい船に乗るの
は初めてなのでソレはそれで愉しみであった。船内を散策しデッキ
に出る。黄浦江から上海の全景を見る、眺めは良い。船は長江に入
り外洋に出た。しかし、汚い海である。夜になると時化に遭い船が
大きく揺れる。壁に頭を何度もぶつける。今まで船酔いしたことは
無かったが、さすがに気分が悪くなってきた。酔い止め薬をビール
で流し込み何とか眠る。

翌日、起きて船内の食堂で食事をする。喫煙所で老人の日本人乗客
と話す、日本人と話すのは久々だった。すると若い男が飛んで来て
会話に加わった。若い男は日本人の語学留学生で、半年振りに日本
に帰るという。聞くと日本の留学生はやはり日本人同士で固まって、
孤独に陥っている者が多いらしい。これから上海に行く人は、日本
人に飢えた留学生にガイドを頼むと良いかも知れない。自分の船室
に戻るが、とにかく退屈で仕方無い。おかげで毛沢東語録を読破し
てしまった。読む本が無くなると、相変わらずアルコールに溺れて
時が経つのを見送った。


以上、上海の歩き方でした。

孔乙己 リマスター

孔乙己(クンイーチー) 魯迅 1919年3月
日本語訳:中国外文出版社 誤字脱字修正:安東洪児

 ルーチェンの酒場の造りは、他の街とは違っている。通り側に弧を描いた大きなカウ
ンターがあり、スタンドの内側には燗ができるように熱湯が用意してある。
 労働者の連中は仕事を終えた後、銅銭4枚を投げ付けて酒を1杯買う(もっとも、こ
れは20年前の話で、今は1杯10枚は要るだろう)。そしてカウンターの前に立った
まま熱いの1杯やって休む。もう1枚銅銭を出す気になれば、たけのこの塩漬けや茴香
豆を食べることができる。もし10数枚も弾めば肉か魚の料理が取れる。しかし、ここ
の客はほとんどが労働者なので、そんな贅沢はやらない。長い着物を着たお役人だけが
個室の部屋に通されて、肉や魚を取り、ゆっくり腰を落ち着けて飲むのだった。

 私は12歳の時から、街はずれにあったシェンホン酒場で小僧をした。店主はお前は
気が利かなさそうだから、お役人の相手は務まるまい。だから表の仕事をやるように、
と言った。労働者の連中は気安かったが、やれ水で酒を薄めるなとか、やれつまみの量
が少ないとか文句が多かった。これではごまかすのも難しい。数日もすると、店主はお
前はそんな事もできないのか、と私を叱りつけた。しかし、世話人が顔の効く人だった
ので、クビにもならずお燗番という退屈な役目に移された。

 私はそれ以来、1日中スタンドの内側に立って自分の役目に専念した。これと言う失
敗はなかったが、何より単調で退屈だった。店主は愛想が悪いし、客の労働者もケチ臭
くて活気も出ない。ただ孔乙己が店に来た時は、少しだけ賑やかになった。だから彼の
ことは今でもおぼえている。
 孔乙己は立ち飲みのくせに、お役人の長い着物を着ていた。背は高いが、青白い顔で、
顔にはいつも生傷があった。そして、無精ヒゲをぼうぼうに生やしていた。着ているの
は役人着に違いないが、ひどく汚れてボロボロになって何年も洗っていないようだった。
話をしても難しい役人言葉なので、聞く者は何がなんだが分からない。彼は姓が孔なの
で、誰かが手習草子の「上大人孔乙己」という知りもしない言葉の中から取って、孔乙
己とあだ名した。孔乙己が店に来ると、飲んでいる連中はみな彼を見て笑う。1人が、
「孔乙己よ、また顔に傷が増えたな」
 と言う。孔乙己は答えず、スタンド向かって、
「酒を2本つけて欲しい、茴香豆も1皿」
 と言い、銅銭を9枚ならべる。そばの客がわざと大きな声で、
「お前、また盗みをやったな!」
 と言う。孔乙己は目をむいて、
「汝、何故に証拠もなく罪の無い人のことを!」
「何が無実なもんか、俺は一昨日この眼で見たんだぞ。お前がホーの家で本を盗んで、
吊るされて殴られているのをな」
 すると孔乙己は顔を真っ赤にさせ、額に青筋を立てて弁解する。
「本を盗むは盗みとは申さん・・・本はな・・・読書家にとって盗みとは申さんのだ・・・」
 その後は「君子、敢えて窮す」とか「ならんやべからず」だのわけの分からない事を
言う。それで皆がどっと笑い、店の内外に朗らかな空気があふれるのだった。

 人の噂によると、孔乙己は元は学者を目指した人間だそうだ。ところがとうとう試験
に受からず、暮らしを立てる才覚も無かった。そこでだんだん落ちぶれて、乞食寸前ま
で来てしまった。幸い、彼は字が上手かったので、書物の筆写をして食いつないでいた。
だが彼には悪い癖があった。酒飲みで怠け者なのである。5日と仕事を続けられず、本・
紙・筆・硯もろとも、どこかへ売り払ってしまう。これが重なると、誰も書物の筆写を
頼まなくなった。そこで孔乙己は仕方なく盗みを働くようになった。だが、彼は酒場で
は行儀も他の連中よりは良く、ツケを溜めることも少なかった。たまに持ち合わせが無
く、黒板に名前を書かれても、1月の内にきれいに払って、黒板から孔乙己の名前は消
えるのだった。

 孔乙己が半分ほど飲むと、紅潮した顔が元に戻る。すると脇の男がまた尋ねる
「孔乙己よ、お前本当に字が読めるのか?」
 孔乙己は男の顔を見て、答える気も無いといった表情を作る。男はまた続ける
「お前、どうして試験に片足も引っ掛からなかったんだ?」
 それを聞くと孔乙己は一変にしおれて、ソワソワし始める。顔が灰色に沈み、口では
何かを言うが、初めから「さよう、しからば」の類でまるで分からない。こうなると皆
もどっと笑う。店の内外に朗らかな空気があふれる。
 こんな時には私も一緒に笑うのだったが、店主は叱らない。それどころか、店主は孔
乙己を見かけると好んで自分から問いかけて、笑いを取ろうとした。孔乙己は彼らとは
話もできぬと分かると、仕方なく子供を相手にする。あるとき私に言った。
「君は、字を習ったことがあるかな?」
 私はうんとうなずいた
「そうか、ひとつ私が試験してやろう。茴香豆の茴の字は、どう書く?」
 私は思った、乞食同然の男に人を試験する資格があるのだろうか。私はそっぽを向い
て相手にしなかった。孔乙己は待っていたが、やがて親切な口調で言った
「書けないのかな?・・・私が教えてやるから覚えておくんだよ。将来、自分の店を持
つとき帳簿をつけるのに必要だよ」
 私は密かに思った、自分の店を持つなんて有りえないじゃないか。それに、ここの店
主だって茴香豆を帳簿につけたりしない。おかしいやら、うるさいやらで答えてやった
「誰が教えて欲しいもんか、草かんむりの下に1回2回の回じゃないか」
 孔乙己はなぜか上機嫌になり、2本指の長い爪でスタンドを叩いてうなずいた
「そうだ、そうだ! しかし、回の字に4通りの書き方あるのは、知っているかな?」
 私は我慢できず、口をとがらせて離れていった。孔乙己は爪を酒に浸して、スタンド
の上に字を書こうとしていたが、私にその気が無いのを見ると、溜息をついていかにも
惜しそうな表情になった。
 時折、近所の子供たちが笑い声を聞きつけて、孔乙己を取り囲むこともあった。する
と彼は子供に茴香豆をくれてやる。やるのは1粒だけである。子供たちは豆を食べても
離れずに立って、じっと皿を見つめている。孔乙己は慌てて手を皿にかぶせ、腰をかが
めて言う。
「もう無い、もう無くなった」
 腰を戻すとまた豆に眼をやり、首を振りながら
「無い無い。多ならんや、多ならざり」
 そうすると、子供の群れも笑い声の中、どこかへ散っていくのである。
 孔乙己はこのように人々を愉しませた。だからといって、彼が居なくても他の連中は
気にもかけなかった。

 ある日、たぶん中秋の2、3日前だろう。店主がツケを締めにかかっていたが、黒板
をおろすと言った
「孔乙己をしばらく見ないな。まだ19文の貸しだ」
 私もそれで孔乙己のことを思い出した。そばで聞いていた客が言った
「来られるもんか、あいつは足を折られたんだ」
 店主が「へえ!」と言った。
「あいつは、懲りずに盗みをやったんだ。今度は何を血迷ったのか、チャオ旦那の家に
盗みに入ったのさ、あの家の物が盗れるかってんだ」
「それからどうなった?」
「まず詫び状を書かされて、それから袋叩きさ。夜中まで殴られて、おまけに足を折ら
れちまった」
「それから?」
「それからって、足を折られたのさ」
「折れてどうなった?」
「どうって、知るもんか。死んだかもしれんよ」
 店主はもうそれ以上は聞かず、ゆっくりとツケをまとめ始めた。

 中秋が過ぎ、秋風が刻々と冷たくなり、あっという間に冬になった。私は1日中、火
のそばにいるのだが、それでも綿入れを着ずには居られなかった。ある日の午後、客も
いないので、私は腰を下ろして居眠りをしていた。すると、ふと
「1杯つけてくれ」
 ごく小さいが、聞き慣れた声が聞こえた。目を開いたが誰もいない。立ち上がって外
を見ると孔乙己がスタンドの下に座っていた。その顔は真っ黒で、痩せこけて見る影も
無かった。ボロを着て、あぐらをかき、床にガマの葉を敷き、それを荒縄で肩に吊るし
ていた。私を見るともう1度言った。
「1杯つけてくれ」
 横から店主が首をのばして言った。
「孔乙己か、お前まだ19文の貸しだ」
 孔乙己は酷くしょぼけた顔を上げて、
「それは・・・次に返す。今日の分は現金だ、酒はいいやつ」
 店主はそれでも、いつものように笑いながら言った。
「孔乙己、お前またやったな」
 しかし、この時はあまり弁解せずただ一つ言った。
「冗談言っちゃいけない」
「冗談? もし盗みをやってないのなら、足を折るわけあるか?」
 孔乙己は低い声で、
「転んだんだ、こ、転んで・・・」
 彼の眼は、これ以上言ってくれるなと懇願しているようだった。その時にはもう何人
も客が集まっていて、店主と一緒になって笑った。私は酒の燗を作り、両手で持ってカ
ウンターの下に置いてやった。彼はボロボロのふところから4枚取り出すと、私の手に
乗せた。見ると彼の手は泥だらけだった。彼はその手で這ってここまで来たのだ。やが
て酒を飲み干すと、まわりの人の笑い声の中を、手でノロノロと這っていった。

 それ以来、またしばらく孔乙己を見なかった。年末が来て、店主が黒板を下ろし「孔
乙己め、まだ19文貸しだ」と言った。翌年の端午の節句になると、やはり「孔乙己め、
まだ19文貸しだ」と言った。中秋節になった時は、もう何も言わなかった。もう1度、
年末になっても彼の姿は見えなかった。
 私は今日に至るまで、ついに彼を見なかった。たぶん、孔乙己は死んだのだろう。

ドクトリン

■近親憎悪の金属バット

誰もが一度はヤリたかった金属バットで両親撲殺というジャパニーズ・ティーン
エイジ・ドリームを鉄アレイという変則的な形で敢行した低能者に賛辞に送りつ
つ、気になったのはこう言う場合に生命保険はおりるのか? という事でした。
仮におりるとして、息子の方もアタマ使って事故死に見せかけて保険金で一生安
泰くらいの計画性を持っても良かったのかも知れません、どうせパクられる覚悟
なら。己が親なら自分に保険金かけまくって峠から車でヘルダイヴする。で、ソ
レで得た金で末代までの繁栄を土の下から期待してるわ。断種するのでそんな真
似は一生できないけど。

こういう常時考えている愚考を晒したのはこの前、近所のおっさんから不愉快な
息子自慢を聞かされて腹が立ってたから。中年ジャップは際限なく気持ち悪い。
メスガキ殺ってるヒマがあったらもっとそな辺を始末してろ。


■氏家克直の裁判中殴打事件についての私見

殺したいほど気に食わねえ奴らに汚物を見るような目で見られて、殴り倒したく
なった気持ちは十分に理解るが、行動と暴力が主役になるのはあくまで犯行時の
みであって、パクられて後の裁判は言葉が主役の世界である。

数多の犯罪者・殺人鬼が裁判を通じて多々の名言を遺してきたのはロクでなしの
お前等ならご存知であろう。これからも続々と出現する予定の(何世紀経ようが
社会制度が変わろうが、ガイキチの絶対数は不変)後続者のためにも是非、節度
をもって裁判に臨んで頂きたい。

因みにソビエト・ロシアが生んだ屈指のマーダー、アンドレイ・チカチロは50人
以上のバラシ行為もさる事ながら裁判時のパフォーマンスも1級だった。
俺は妊娠しておりもうすぐ出産するから産婦人科に連れていけと要求し、また裁
判中フルチンになって判事(男)にホモ行為を持ちかけたり、検察側が死刑を求
刑した直後、極度に興奮して何故かインターナショナル(共産党歌)を熱唱するな
どシュールな1人コントを展開している。

※インターナショナル日本語訳
 起て!飢えたる民よ 起て!我が同胞! 蜂起の時は来た 今こそ戦わん!
 自由となる日 旗は赤く燃え 奴隷で無く自由の民なのだから!

最後に死刑判決がくだってからの彼の遺言を以下に引用したい。
「死刑が執行されたらオレ様の脳味噌はオークションに出せ、
 アインシュタインみたいにな。
 何故かって?? オレ様ほどの脳味噌なら日本人が高く買うからなっ!!」
 ※注:実際に競売にかけられ日本人が落札した。

お前等も、ヤった後のコンドーム並に後始末はシビアになって欲しい。



■ドラクエの魔法が1つ使えるなら、メダパニ希望

学校の飲料水タンクにLSDをブチ込んで 生徒および教師の大半をラリらせるとい
う事件が ヒッピーカルチャー全盛期のアメリカで起こったという文献を読んだ
ことがある。 犯人はそこの学生で「世の中、全員ジャンキーになれば面白くな
ると思った」 という動機を語ったらしい。

学校にて銃を乱射したり、包丁で突き刺したり、死と恐怖を与えるのもソレはそ
れで悪くは無いが、己がシャバを捨てる覚悟で行動に及ぶならば、再びオランダ
王国に渡って大量のMDMAを入手して帰り、小学校の給食にまるごとブチ込んで人
生が始まって間もないクソガキ共に一生、生きても味わえないようなエクスタシ
を与える。
決行日は12月のクリスマス直前でパクられた場合の動機等についての供述は「今
夜ワタシ、ファーゼル・クリスマース」とかホザいて県警のご歴々に狂っていや
がると言わせる予定でR。以上、季節はずれの戦メリネタでした。


■ワルについて

最近、雑誌やコンビニに陳列された本を見ると「ワルになれ」や「ちょいワル」
等という言葉を見かける。その度に私は本当の悪とは何かということに戸惑う。

言葉通りに悪(ワル)について考えてみよう。世界的なアンケートを見ると人類
史上で最も悪い人間はグルジア人、ヨシフ・ヴィサリオノヴィチ・ジュガシヴィ
リことスターリンの名が筆頭に挙がる。これは、すべての悪の最上位はスターリ
ンであり悪の正統は彼のコピーモデルであることを意味する。
そのパブリック・イメージに従うと本当のワルとは「ボリシェビズム」や「スタ
ーリニズム」を身にまとい、ちょいワルとはマルクスエンゲルスの著作等をポ
ケットに忍ばせることである。

それでは、日本に目を向けてみよう。現代日本で今、最もスターリン(ワルの完
成形)に近い人物は日本共産党トップ志位和夫である。よって、日本でワルを志
向する者は彼のファッションや言動を模倣しなければそれは正しい解釈とは呼べ
ない。

プロフィールを読むとクラシック音楽が好きなようなので
http://www.shii.gr.jp/profile/profile.html
お前らの手元にある紛い物やカン違いを、燃えるゴミや燃えないゴミに出しさっ
さとバッハやらショスタコービチやらを買いに行け。


■いじめについて

いじめ自殺についてだが、現代の坊ちゃん嬢ちゃんは温いねえ。教育改革など下
痢便どもがいくら取り組むフリをしても無駄だ。それは人類の恒久的平和と絶滅
を望むことと同義だ。

ならば解決方法は何か?? 簡単、殺せばいい。人間としてでなく生物としては
そっちの選択が正解だ。
断言した後で悪いが、日本は法治国家なので安易に勧める気はしない。だが「窮
鼠ネコを咬む」ってシチュエーションは案外嫌いじゃない。俺もお前も。
今いじめを受けている奴は成長し大人になってから、やった奴らの妻と子供を犯
して殺してもっかい犯して、腹を割いて引きずり出した臓物を、ローンのたっぷ
り残ったアイツのマイホームに奇麗にデコレーションしてやれ。

そんな妄想を抱いて生きるのも、そう悪い物じゃない。ソレを文章にしたり絵に
描いてみれば俺のような人間どもが喜んで喝采を贈るだろう。

ただ、自殺することが限りなく正解に近い手段であることを否定はしない。


■続・いじめについて

心の醜いカタワ者、安東洪児です。コンバンワ。

イジメ関連についてもう一つ書きたいことがある、よく聞いて貰いたい。あまり
多いパターンではないが想像してみて欲しい。1人の女生徒に対し、複数の男生
徒がイジメを行なっている。アナタは第三者としてソレを見る立場にある。その
時、アナタはどういう行動を取るべきか考えて欲しい。

一つ説明を付け加えておきたい。どういう経緯か、コレを読んでいるアナタは大
変coolな男(あるいは女)であろうと思われる。では、この状況を目の前にして
どうすればアナタはcoolなままで居られるのか? それを加味した上で再び考え
て欲しい。

例えば、間に割って入って女生徒を守る正義漢。
勿論、コレはcoolではない。
では、自分も仲間になって一緒にイジメる。
付和雷同、コレもcoolとは呼べない。
なら、傍観を決め込んで見て見ぬフリ。
「沈黙は服従なり」と言うように
コレもcoolな振る舞いではない。
では、どうすればアナタはcoolで居られるのか??

無論、まったく完全な解答は存在する。
ソレは「女生徒も男生徒も殺す」ことだ。

さあ、ここからが本番だ。
このように、己の存在の高潔さを脅かす選択肢が現れた時に生じる破壊衝動や殺
人衝動を私は私が編み出した、膨大な殺人ドクトリン体系の中でも自己防衛系統
に属する「選択排除ドクトリン」と呼んでいる。

コレはあるガン・シューティング・ゲームをやっている時に産まれた。人質を取っ
て立て篭もるテロリストを排除するミッションで私は何度も失敗し、何度もRepl
ayしていた。ついにブチ切れた私はミッション開始と同時に銃を乱射し、テロリ
ストも人質も無差別に撃ち殺すカタルシスに浸った。そこには善も悪も、強者も
弱者も無く、尊厳を保った己のみが居た。虚しくモニターに漂うGAME OVERの文
字を眺めてオモチャの銃と共に、私の手に握られていたのはこの一つの思想であ
った。

以上、諸兄も自分の中で生じた暴力衝動をよく研究し独自の体系を築いて非常時
に備えて頂きたい。暴力における士気は戦術理論に大きく左右される。他にもオ
ールフィクション・ドクトリンや浸透抑制ドクトリン等あるが、ソレはまた別の
機会に述べたいと思う。


■一人称について

今更だが、一人称についての見解を述べたい。私はリアルでは『俺』であり、ネ
ットや文上においては主に『私』である。また、生まれが西側の人間なので『わ
し』を使うのも抵抗感は無い。

しかし、決して許されない物が『僕』である。『僕』を人称として採用する者は、
前世紀・前々世紀を通し、人類が数多の血と臓腑をまき散らしながら向上させて
きた、尊厳に対する明白なサボタージュ行為である。『僕』とは下僕の『僕』で
あり、従僕の『僕』である。民主主義・自由主義国の住人として、あるまじき奴
隷根性である。

万札に描かれているボンクラが「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」
とホザいたが、天とは首都のド真ん中を占拠している低能一族のことである。そ
んなロクデナシ共は、都知事と一緒にマリアナ海溝の底に沈めれば良い。よって、
東洋の黒いルソーと呼ばれた私の前で『僕』などとのたまう輩は、 自己批判の強
要により精神年齢が20歳ほど退化することと相成ろう。

そんな己が砂を噛む思いで『僕』と名乗るのは職場か、この世で最も下等な生業
であるポリ公に因縁をつけられた場合に限る。その時は『僕』ではなく、撲殺の
『撲』を心のカンバスに描きながらそう言っていることを付け加えておく。


■反武士道

日本人の劣等性を証明する思想として、世界的に有名な武士道という物がある。
これは「アジアの野蛮人が生み出した珍妙な思想」、として主に欧米辺りでウケ
た。そこで調子に乗り、何かに付けてサムライとか冠したがったり、武士道が日
本人の精神だとホザく輩があるが、ソレらは土地も田畑も所有せず、食いっぱぐ
れて都市に流入した貧乏人の子孫であり、武士階級に対する通俗的な憧れで生み
出された、単なる奴隷根性の賜物である。要するに、武士道とは童貞に与えられ
たエロ本と同一物と言える。
また、これは昨今の貧困層と若者の右傾化や、日帝賛美と根を同じくする。武士
階級など当時の人口比で5%未満であり、歴史的に見て農耕民族が大半を占める日
本人にとって農民道こそが喧伝されるべきであり、正道と言える。生産を主体と
する農民に対し、「死ぬことと見つけたり」という非生産的な題目を唱える武士
道とは、根本的に対立するものである。
武士道が白人種にウケた理由として、連合国との戦争以前以降から続く、「日本
人は全員死ねばいい」という願望に根付くものであり、支配階級と白人種にとっ
て非常に都合の良い思想であるが故に、ここに反対の意を表明するものである。
なお、そんな下らない思想の起源を引き受けてくれようとする朝鮮人は、誠に懐
の広い民族であると感ずる次第である。

死道

■スペクテイターズ

休日を利用して市内の救急病院に行った。何も精神以外に急を要するような外傷
を負っているわけでは無いし、家庭ヤク漬けによる中毒症状が起こったわけでも
無い。それは金払ってスプラッタ映画などを摂取せずとも自傷マニアに頭を下げ
て手首を切って見せて貰わなくても、己の特殊な欲求を満たす方法を思い付いた
からである。

特定の時間帯を見計らい、車で市の郊外にある大型総合病院に乗り付ける。関係
者や収容患者の身内のフリをして入場、無料。病棟内の適切な位置に陣取って簡
易ジャンク(orデスファイル)劇場の完成。後はコーヒーでも飲みながら舞台に
現れる出演者を待てばいい。

まずはバイク事故か何かだろう、頭部から鼻先にかけて大きく切り裂かれた若い
男性が搬入される。結構な出血量で担架が走った跡に血液が点々と落ちている。
次はよく分からんが、とにかく血塗れの初老男性。重体や絶望的な状況とはこう
いうのを指すのだろう、息があるのかどうかも怪しい。

上記の映像を飽きるまで虚ろな目で眺める、無料。

「もう何を見ても効果が出ない」
「小動ブツをやるのはしばらく控えようと思う」
というやつが居たらやってみると良い、一時凌ぎにはなるだろう。

ちなみにゾンビ等の特殊メイクで有名なトム・サビーニがベトナム戦役に従軍し
た折に、
迫撃砲を食らってバラバラになった人間」
重機関銃でハチの巣になった人間」
を間近で見た経験が己の技術の基礎になったと嬉々と語っているインタビューを
見たことがある、尊敬に値する態度だと思った。


■美術鑑賞会

@臓物、美術観賞会が三重県立美術館にて開催された。街に貼り出してあった
「頭のおかしい白人画家の展覧会」ポスターに興味を持った安東の呼集により、
1人の爛れた知人が参加した。

初夏の日差しにやられ、全身にジンマシンを発症させながらルート23を自動車で
南下する。県庁所在地である津市に入った時、脇道からデカイ右翼の街宣車が割
り込んできて私たちの進路をさえぎった。
イモ軍歌を流しながら鈍行するので、ヒステリーを起こした知人がダッシュボー
ドやフロントガラスを殴る。私は窓を開いてタバコに火を点け、外に吐き出した。
冷房の効いた車内に外からの熱気と舌足らずの演説が入り込んでくる。
ルート23を逸れて市街地に入る。護国神社の前にも右翼者が溜まっており、日の
丸や菊の旗がゆらいでいる。その横を南部連合旗の貼られた私の黒い車が走り去
る。国体より田舎者のレッドネック精神こそ真の右翼だと思っている。

美術館の駐車場に車を停めて外に出る。美術館へと続く道を歩きながら、怒りに
収拾がつかなくなった爛れた知人が「日本人はだせえ、日本人はだせえ」と言いな
がらきれいに植えられた生垣に蹴りを入れて穴を空けている。
私が「もうすぐイカレた外人の絵が見られるから我慢しなさい」と刃物を突き付
けてなだめると大人しくなった。
美術館のゲートをくぐって中に入ると、奇矯な2人組に気付いた係員がさっそく
対策に乗り出した。私たちは警備員やら職員やらに囲まれるが「俺たちはビリー
とワイアットだ、北の方じゃ大物だ。どんな祭でも顔を出す」という事を説明す
るとタダで入れてくれた。私たちは刺さる視線を背に『子供と障害者は入場無料』
という看板を見て見ぬふりをしながら展覧場へと入った。

初めは風景や静物の油絵が展示されている。小さなキャンバスにではあるが、広
い草原にぽつんと描かれた要塞の絵が気に入り盗もうと思ったが、警備員の執拗
な監視により出来なかった。
その後は、防波堤や波打ちぎわを暗い油彩で描いた物が続く。中には私の好きな
題材で、数多の名画家が絵に残した『放蕩息子の帰還』も展示されており大いに
満足する。写実主義に則った初期作品群のフロアを出て、次のフロアへ移動する。
作品は年齢を重ねるに併せて展示されているが、だんだん画家の頭が不味い事に
なっていくのが分かって良い構成だと思う。
宗教絡みの絵が増え、自画像と称したドクロの絵が並び、異常にペストに執着し
た作品が続き、昆虫と人間を組み合わせた奇怪な人物画が出始める。挙句に、キ
ャンバスの至る所に苦悶の人相が描かれた都市が描かれまるで漫画「ベルセルク
で出てきた蝕のような光景が続いていた。

田舎の美術館も舐めたものじゃないなと考えながら体に悪い飴を舐める。爛れた
知人も御満悦のようで、鑑賞中に2〜3回ほど共鳴の奇声を上げてその度に私は警
備員との折衝に追われた。
私たちは何とか無傷で鑑賞を終え退館した。ダイナソーjrのジャケットみたいだ
ったという共通の印象を述べ合い次に予定されている頭のおかしい売女に美術論
を打つという目的を果たす為、すぐ近くにある売春小屋に向かって移動を始めた。


■映画鑑賞会

幼少年期、スプラッターにはまり過ぎて社会への順応性を失った。そんな社会的
地位の著しく低いバイオレントヴィデオスタッフが集いLAND OF THE DEADを観
に行った。彼我の口ぐせは「どんな残酷な映像を見ながらでも肉が食える」だ。
俺たちは来るべき最終戦争に備え、戦場カメラマンを目指して国道沿いに転がる
小動物の轢死体を撮ったりしている。

一行はDAWN OF THE DEADを彷彿とさせる大型モールのシネコンに入った。窓口
で係員に「俺たちは精神年齢が老人だからシニア料金で観せろ」という旨を伝え
たが、警備員を呼ばれそうになったので仕方無く実年齢に相応する料金を払った。
スタッフの一人が「兄貴、肉が無えと始まらねぇ」と言うので、売店でジャンボ
フランクを買って与えた。当然、自分の分も。元の味が無くなるほどマスタード
とケチャップを塗りたくってフェラチオみたいに口に突っ込んで指定のホールへ
向かった。

自分で言うのは何だが、俺たちは最高の客だ。だから係員のネエちゃんも最高の
席を用意してくれているはずだ。そう信じて疑わなかったし、またその権利を有
している。実社会で徹底的に冷遇されている私が、ここで優遇されずに一体どこ
で優遇されるというのか? 精神病院の特等室とでも言うのか??
興奮して客の大半を占めるデカいブラジル人と肩がぶつかった。いつの頃からか、
私の住む街に大量のブラジル人が流入してきてのさばるようになった。私は先祖
代々、500年以上この地に土着している。だからこそ寛大だ。許してやるからさっ
さとこの街に居る日本人をみな殺しにしてくれ。そう思うが、私を睨み付けるブ
ラジル人の目は冷たかった。

いつもクールな兄貴の様子がおかしいというので、スタッフの一人から鎮静剤が
与えられる。トイレに行った私は錠剤を噛みしめ蛇口をひねり臓腑に流し込む。
こんな物で埋めても埋めても横たわっている死体のような不安や呵責は消えない。
一時的に抑える方法は数分後に始まる映像をアタマに叩き込む事である。


■投擲

通行人に糞を投げたり、エアガンで撃つのが流行ってるようだが下品で卑劣な犯
行という見方が一般的だ。精液もしかり。そこで投げる物を臓物に変えてみたら
どうだ? モノによっては精神的かつ哲学的なクールさを加味することができる。

臓物にはプラッチックや糞や精液では出せないフレーバーのあるこった!

入手法については食肉加工業のサイトを見たら「解体から発生する内臓、原皮、
骨等の処理加工、販売も併せて行うことで収益を得ております」等と書いてある
んで、適当な理由を作って手に入れて欲しい(生物の授業で使うとか、自主制作
映画の小道具に使うとか)。多分、食べるための肉よりは安いと思う。


■焼肉ショップ

こんばんわ、BECKです。好きな言葉と行為は『換骨奪胎』です。
日曜日、新作ゾンビ映画の試写会をやってそれからダチ公と焼き肉屋に行った。

そこで我々のスペックを計るためなるべく臓器を食べようという話になり
牛の『心臓』『肝臓』『大腸』
豚の『舌』『胃袋』『子宮』を注文した。

臓器と死肉が運ばれ焼こうとするがテーブルのコンロがぶっ壊れており 火力不
足でまったく焼けない。 人間嫌いなので、店員呼ぶとか面倒臭いことはしねえ。
臓物主義の名に賭けてほとんど生焼けで食った。 つらい晩餐だったぜ。
参考資料:http://syoku-niku.jp/

因みに腐乱体のフレーバーを嗅ぎたい人は、 各部位を集めてコンセントの抜け
た冷蔵庫に2WEEKほど放置しましょう。


■特殊観光地宣言

何の観光資源も持たない有り触れた住宅街や田舎町が突如、観光スポットと化す
ことがある。それは陰惨な殺人事件が起こった時にである。こと幼児殺人や猟奇
殺人、連続殺人事件になると その観光的価値は飛躍的に上昇する。

私は奈良の幼女殺人事件が起こった翌々日、たまたま現場近くの駅を通りかかっ
たのでソコで降りた。何の味気も無い地方都市を歩いているだけなのにサツに尾
行されたり、パトカーに横付けされたり角材を持った男性住人に威嚇され、若い
女やババアに腐った肉にわいたウジを見るような目で睨まれたりとCoolな出来事
が手前勝手に降りかかってくる。

平和と飽食と貧富の差を得た社会は精神異常者の絶対数が底上げされる。これか
らも弱者を標的とした殺人は増え起こり自分の身近において発生した場合、アナ
タ方に出来ることは悲しむことでも憤ることでも無くその場に赴き狂気の渦中に
触れる錯覚を愉しむ事のみである。当事者以外にとっては娯楽、今はもうソレで
しか無い。


■許されざる冒涜

安物のスーツにグラサン&鳥打帽といういつもの成りでレンタルヴィデオ屋のキ
チガイコーナーに突っ立ってたら田舎カップルが今夜のFUCKのBGVでも求めてか
互いの身体を密着させながら現れた。

帰宅2分後にはケモノの如く腰振ってそうな勢いで私の進路を塞いだり怖気の走
るようなセリフを耳元で囁きあっているのは、心の広い私なら充分許容できたが
国産ブタが突如、この俺様を目の前にして私が神の如く崇め、父のように慕って
いる映像作品に向かって「キモーイ、キモーイ」とか5〜6回ほどホザきやがった。

ブチ切れると共に己の中の「見えざる太陽」ことMen of 731が目覚めて、お前を
キモくしてやろうか?? という統帥部の意向により死に至る36時間の全過程が
脳神経の伝達速度に乗ってフルカラーで映像化され最早、生物兵器と言っても差
支えない段階で気付いたら俺しか居ねえ。

まあ、こういう脳の一生使わないような機関が一時的に駆動する瞬間というのは
射精以上のエクスタシを伴うがアタマをモニタに繋げて中身が映像化されるよう
なSFチックな未来に生を受けてみたかったね。

銃と私

■銃の所持について

格差社会とか勝ち組とか負け組とか、色々あるだろうが自然の掟の中で生きるケ
ダモノの世代である己にとって所持するカネの多寡や地位など大した価値は持た
ない。
将来さらに貧富の差が拡がり、新たに特権階級が形成されソレらが貧乏人に対し
て差別意識を持とうが、人身売買でセックス奴隷を持とうが一向に構わない。

だがしかし、だがしかし。何が起ころうと一部階層による銃の所持だけは許さん。
昔は名字と刀(武器)を持つことが支配層の特権であったが私は名前など要らな
い、代わりに武器が欲しかった。胸に穴が開くほど焦がれても世界中のどんな女
より手に入る気がしない。よく男にとって銃は女に例えられることが多いがそん
なくだらねえ生物と一緒にするな。

今後、一部階層に限った銃所持を認めるような法案を通そうとする動きが生じた
場合、その時はお前らの妻子が『レイプ』『殺害』『屍姦』『臓器によるハウス
デコレーション』という、人呼んで臓物クァルテット(四重葬)によりこの世から
退場して頂くことと相成ろう。


■唯銃主義について

ネット喫茶で時間を潰していたが、たまたま浅間山荘事件のページ見てて連合赤
軍トップ森恒夫が唱えた『唯銃主義』に興味が沸き、調べていたが私の脳が弾き
出した推測によると彼らは単に銃が好きなだけ、だったのではないだろうか。

事件当時、未成年だった参加者がこのような証言を残している。

「何よりも銃は大切なのだ。大事なのだ。人間よりも大切だ。「銃さま!」という感
じだった。
 ともかく銃が最高の物で、それに兵士は近づかなくてはならん。といった感じだ
った。銃にはそんなに簡単に触れない。神々しいものだった」

そこから察するに浅間山荘事件の本質とは革命や共産主義の思想が、銃という寄生
虫のような物に中枢神経を乗っ取られ結果、エクストリームなガンマニアと化した
者たちによるリアル・サバイバルゲームと見るのが正しい認識であろう。
モデルガンの規制が強化されたのは、過激派による事件が引き金だが主義思想が銃
の魅力に寄生されより暴力的になるのを防ぐ為なら、的を射た規制であろう。
かく言う私も、格差社会を風刺するという主旨で書き始めた投稿がいつの間にかガ
ンマニアの世迷言になってしまい、自分で作った本にも唯銃主義が大きく取り入れ
られている事に気付いた。
所持の認められていない日本では、銃は物理的にヒトを壊すだけでなく精神を破壊
する力も保有しているのであろう。

束縛と自由

violentvideoinfo2007-02-27

ファミコンからGAMEやった世代だがガキだったのでトラウマが生じた
ソフトも幾つかある。代表的な物は『バンゲリングベイ』と『ファミコ
ン探偵倶楽部』だが、ここでは『R-Type』について述べたい。伝統的な
横スクロール型シューティングに何のトラウマが生じるのかと、訝しが
る向きもあるだろう。最新型のジェット機に乗った気分でコントローラ
ーを操るガキの私は、1面のボスに衝撃を受けた。機械仕掛けの背景に
不釣合いなエイリアンが、ケーブルのような物で身体を拘束されている。
そいつはのたうつ様に暴れ、その暴れが結果的に攻撃になっているよう
な印象を受けた。多感な私は、この醜怪な生物は宇宙空間のどこからか
連れてこられ、軍事兵器に転用された奴隷エイリアンなのだと思った。

その光景に哀れを感じ、弾丸を放つコントローラーの手も止まってしま
った。普通ガキらは本やTVで黒人奴隷などについて知り、人間の薄汚い
過去を学習していく訳だが、己の場合はR-Typeが媒介となった。

攻撃を避けていても事態は進まないので、意を消してボタンを押し弾丸
を撃ち込む。隷従の身から解放するという、本能的に湧いた使命感のよ
うな物で。身体を拘束する装置が火を吹き上げ、それと共に肉体は砕け
散り、解放と自由は『死』によって達成されるのだと直感するに至った。

久々にエミュレーターでやると、幼き日の清廉な情感が湧いてセンチメ
ンタルにもなるのです。

Painkiller

クソ田舎のポルノショップに行ったら話題の『ひぐらしのな
く頃に』が1500円くらいで売ってた。こんな辺境でも同
人ゲーム類が入荷されるようになったのかと歓心し入手した。

これは当初、北米版サンアンドレアスへの繋ぎ程度の軽い気
持ちでプレイしていたが良い形ではまった。ピアスクラブや
リトルピアス系の絵には慣れているので抵抗は無く、評判通
りクソ長い前振りに耐えたら後は散々ビビらされた。突発的
に怖くなるシナリオ運びが絶妙に思え、乗っけから飛ばして
くる臓物主義的な洋物ばかり摂取しているアタマには新鮮な
響きがあった。

大雨洪水警報が発令される中、私はアルコールを飲みながら
やってたがバッドな雰囲気に呑まれ悪酔いを起こした。それ
でも己のクサレ脳がゲームの続きを望むので、ひどい悪寒と
嘔吐を抑えながら一晩中プレイを続けた。それは身体の状況
がストーリーとマッチしたせいもあるが、肉体的不調と精神
的不調というマイナス要素が重なると、ある時点でプラスに
転じ神経が異常に研ぎ澄まされ愉しい一夜を過ごせた。

ソレは渡欧中の経験からも裏付けられる。ある日、大量のT
HC+αを摂取した状態で拷問博物館に行く試みを行った。
だが完璧なセッティング無視が祟り、入館直後から危うい均
衡を保っていた神経が一転とんでもねえバッドに入り「力の
焦点があってねェ」状態になった。それでも夢にまで見た本
場の鉄処女やオーストリア式梯子を前に後退する訳にはいか
ず最大の精神力を振り絞って立て直し、おかげで各種脳内分
泌が全開になり館内のあらゆる展示物を必要以上に愉しむこ
とができた。

※注意:退館後、俺はドラッグに勝ったんだ! という叫び
も虚しく、私は片肺飛行で何とか辿り着いた公園のベンチで
一点を見つめたまま動けなくなった。しばらく地獄を見て我
に返ると7〜8時間ほどが経過していた。危険なので、真似
したくない人は真似しないように、、

余談だが、こういう鬼絡みの逸話はどこの村でもあるようだ。
うちの田舎じゃ鬼虎(キトラ)という化け物の話が伝わって
いて村内で暴虐の限りを尽くしたり、呪いで大量の畸形児を
出産させたり、という伝説が残っている。そういう御当地の
陰惨な伝説を知りたい向きは、図書館にある郷土誌あたりに
詳しく載っています。

http://07th-expansion.net/Soft/Prolog.htm
http://www.strangeworld.cx/cgi-bin/remix/bbs.cgi?area=fan32