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本拠は http://m4oism.org/xxx

上海の歩き方

以下、2007年3月上旬の記録

◆上海の歩き方1

ニクソンだけが出来たと言われているけれど、あなたも出来る!』
という訳で、初の訪中旅行をした。海外渡航も3度目で無難なよう
レールを敷いたつもりだった。しかし、帰国の飛行機に置き去りに
されてからは苦境の連続であり大陸に身を移しても、私の頭上にあ
る不幸の星は輝き続けた。

知っての通り中国は広く地方によって言語も民族性も異なる。私の
行った範囲で見聞きし、感じたことを書くのでこれから中国へ旅立
つ人の参考になれば幸いである。訪問先は上海市(人口約1600
万人)とそこから内陸に100kmほど奥にある江蘇省・蘇州市(
人口約600万人)。当時のレートは1元=16円ほど。

■入国から市内まで

3/5、中部国際空港から15時に出発、16時に東浦国際空港に
到着。時差は-1時間。入国審査ではパスポートは無論、他に『入
国カード』『税関申告表』『検疫表』の提出が必要。ガイドブック
に載っている物より若干更新されているのでよく見て記入。特に質
問されるようなことは無かった。上海市内までリニアで10分足ら
ずだが、中心街へはさらに地下鉄に乗る必要がある。リニア乗り場
は空港から少し距離があり、分かりにくいので迷わないように。空
港近辺の施設は割と英語が通じる。元への両替であるが空港にいく
つか銀行がありそれぞれ手数料が異なる。3泊4日ほどならホテル
等の支払いは除いて、2?3万円くらいの換金で充分だろう。

中心駅の『上海駅』や『人民広場駅』はかなり混雑している。切符
窓口は長蛇の列でかなり時間を要する。券売機はあるが高額紙幣は
使えず、大半が釣銭不足で『COINONLY』となっている。両
替機があるとガイドブックに書いてあるが見たことが無い。小銭問
題は終始ついて回るので可能なら日本で特に1元硬貨を多く調達し
よう。ちなみに上海の地下鉄はカード式で、改札機の平面の読み取
り部分に当てて入る。出る時は改札機の下にある挿入口に差し込ん
で通る。

そして有名な『列を作らない』『割り込み』である。笑ってしまう
ほど露骨なので、郷に入らば郷に従えで一つコツを紹介しよう。『
共産中国では、順番があなたを守る!』と言う訳で、基本的に2人
以上の列は存在しない。今カネを払っている者とその『横』に立っ
ている者までである。後ろに立っている者は並んでいるとは見なさ
れない。上手く側面にポジションを取り、素早く券売機を手をかけ
よう。何度も見たし、自分も何度かやったが特に揉めたことは無い。
そうしないと混雑時はいつまでも買えない。(コンビニや売店等も
同じだが、時と場所の考慮は必要だ)

■最悪の交通事情

私の知る日本、オランダ、台湾と比べて上海の道路事情は劣悪だ。
交通整理員の居る道はまだ安全だが、それ以外は無法地帯に等しい。
前後左右から車、バイク、自転車、人が引っ切り無しに迫り来る。
慣れていないと接触事故は十分にあり得る。また、まるで呼吸する
かの如くクラクションを鳴らすのでかなりうるさい。存在を知らせ
る為の物なので要らぬストレスを感じぬように。因みに大きな道路
は交通量が多く、横断歩道が無い場合が多いので遠回りのように見
えても地下道を使うと確実に渡れる。

地下鉄は市内全域を網羅している訳ではないので、目的地までかな
り歩く場合もある。バス停は至る所にあり早い内に乗り慣れると便
利だが、バスには空調無と空調有の2種類が有り、空調無は1?2
元程、空調有は3?4元と料金に差がある。私見だが空調有が大半
のように見えたので3?4元くらいと考えた方が良い。タクシーは
意思が通じず2度ほど乗車拒否され諦めたので感想無し。

重要なポイントだが、上海は再開発ラッシュで工事中だらけである。
新しい地図でも道路が工事で通れなかったり、建物や施設が移転し
ている事が多い。特に私を窮地に追いやった国際フェリー乗り場は
かなり複雑な位置にある。事前に確認するか、分からなかったら迷
わず警備員やそこらの人に聞こう。中国人はガンガン道や停車駅を
尋ねてくるので気にする必要は無い。

また中国の交通機関はシビアだ。駅など入場制限が厳しくホームに
は係員の指示が無いと入れない。時間厳守でギリギリは、かなり危
険な行為だ。飛行機は40分前に搭乗手続きが必要だが、1時間切
った時点ですでにカウンターが閉められ、探し回っている内に交渉
する余裕も無く遅刻にされた。腑に落ちない点はあるが、空港には
3時間前に待機という原則を軽視した私の落ち度とする(航空会社
は中華国際航空・エアチャイナ)。

■ホテルと買い物

私の泊まったホテルは正規旅程で3泊、帰国延長時の2泊、フェリ
ーの1等室2泊である。初めの3泊はHISで予約した日本語スタ
ッフの居る3ツ星で、人民広場駅まで徒歩5分。1泊8000円で、
探せばもっと安いホテルはあるが、数が多く絞り込みが難しいと言
う。ホテルでは予約証書とパスポートを提示し、保証金(デポジッ
ト)として100元を払うがこれはチェックアウト時に返金される。
受付スタッフの日本語は単語レベルだったが、英語は聴き取りやす
く問題は無かった。また今まで行った国のホテルと比べ身元のチェ
ックが細かい、これは国柄であろう。部屋は清潔で、タオルなども
宿泊分用意してある。風呂はシャワーのみである。水はかなり臭く
飲めない、備え付けのポットで沸騰させても飲めない。飲料水は市
内で1?2元ほどで買えるので常備しておきたい。

延長時2泊は所持金が少なく選択の余地が無かったので、フェリー
会社に紹介してもらった安ホテルだったが、受付スタッフの英語は
なまりが強く私の意思もまったく通じなかったのでかなり苦労した。
イレギュラーな事態だったので形振りかまっていられず強引に部屋
を確保した。部屋は値段相応だったが、風呂は浴槽付きで嬉しかっ
た。またマッサージ(性行為も有りだろうが)は要るか?という電
話がかかってきたが打ちのめされていたのでノーサンキューで切っ
た。安ホテルならではであろう。

私は粗食なので海外に出てもメシはコンビニである。上海市内には
至る所にコンビニがあり、深夜もやっているので生活用品には困ら
ない。しかし注意点は多い。釣銭不足からか金額きっちりで支払い
を要求してくることが多く、無いと言うと勝手に品物を足して帳尻
合わせをする。また外国人と分かるとボロボロの紙幣で釣りを出し
てくる場合があり、高額紙幣とボロい紙幣は拒否されることが多い。
店によっては品質の悪い食品もあり、飲み物がまったく冷えてなか
ったりする。信用できる店もあるのでダメだと思ったら別の店にし
よう。私見だが、ファミリーマート(全家)は接客も品質も良かっ
たので見かけたら入ろう。

■治安

上海はかなり寒く、行動は主に昼間だったので深夜に街へ出ること
は無かった。ただ正規旅程のホテルで深夜3?4時頃、数十発の銃
声がしてパトカーのサイレンが鳴り響いているのを聞いた。状況は
分からないがかなり派手な発砲だった。街頭で奇声を上げている人
間の数が、東京より3割増しだが基本的に人畜無害。その奇声はク
ラクションですぐに霞んでしまう。昼間の治安は、警官も頻繁に見
かけたりして悪そうには見えなかったが夕暮れにかけて出没するポ
ン引きやキャッチセールスはかなり悪質だった。卑猥な単語を大声
で言いながら、200?300mは余裕で付いてくる。南京東路な
んぞ行かない方が良いくらいだが、体に触れてくるような奴に遭っ
たら走って振り切るべきだ。旅行中これが一番不快だった。

以上、実体験による滞在時の予備知識でした。次回は上海の名所や
エピソード、蘇州の水郷とハードスラムで展開したスラップスティ
ック、そして悪夢の日本帰国行について記したい。


◆上海の歩き方2

「上海か。クソッ、ここはまだ上海だ」やる予定など無かった地獄
の黙示録ウィラード大尉の物真似をする。おんぼろホテルの一室に
二日酔で目が覚める。人海の中に今一度分け入って闊歩する気力な
どもう無かった。

1週間振りに日本に戻り、その狭い国の中でも最も乱雑と呼ばれる
大阪が借りてきたペット動物のように大人しく感じる。人は不自由
であるから行動的になり、また自我や個を強く維持しようとする。
中国からの出国審査を終えた時は心底、肩の荷が降りた気がしたが
あのワイルドというか、奔放というか、野蛮というか自由な空間の
中では決して醸成できない喧騒と混沌は真にファンタジー。今では
ノスタルジーすら感じる。人間性を異する点では今までで一番外国
に行った気がした。

人の海へのスキューバダイビングと言うと何のことやら分かりにく
いが私の中国行はそんな言葉で結論付けられる。以下、自分の廻っ
た中で行くに値すると感じるポイントを紹介したい。

上海市

多くの意見と同じく上海はビジネスの街という印象が強かった。近
代的なビルが立ち並び特に企業アピール的な看板が目立つ。出発前、
かつての上海は姿を消しつつあると聞いたが、古い街並みは無尽蔵
に思えるほど残っており「100年前にタイムスリップ」した気分
は十分に味わえるので是非、徘徊して頂きたい。

『旧上海城内』
古くからの居住区で東西に走る方浜路周辺は往来が多く、活気溢れ
る下町である。解体と再開発も進んでおり、脇道にそれるとそこら
中に瓦礫とゴミが散乱しまるで爆撃を受けた直後のようで、姿を消
すどころか過去の混乱をより彷彿とさせる。部分的にスラム化して
いたり廃墟が連なっている場所もあり、気軽に入れるのでその辺り
の趣向には堪らないポイントであろう。

東の方には観光客向けの土産物屋がたくさんあり、毛沢東グッズや
共産党グッズガラクタから骨董まで色々売っている。ボラれるので
根気よく値段交渉しよう。例を挙げると毛沢東語録(日本語版)は
ある所で80元(言い値130元)で買ったが、土産用に別の店で
買ったのは20元(言い値40元)だった。コツとして商品の汚れ
や欠けを指差して苦い顔をすると値が下がりやすく初めに高目の商
品を買い、店員が袋に詰めてから後付けて細かい物を手に取ったり
興味を示すと安い言い値からスタートする。(最寄の駅は「河南中
路駅」か「黄陂南路駅」だが多少距離がある)

『多倫路文化名人街』『魯迅紀念館』
上記の2つは近い位置にあるので同時に回ろう、北から南に歩く感
じで。魯迅は私の好きな文章作家であり、どこか固いイメージがあ
るが「街のゴロツキどもが使う、汚い言葉で書いた下品な小説」と
自分自身で言い切っている中国で最もアナーキーな作家である。文
化大革命であらゆる作家や作品が理由無く迫害を受けたが、魯迅
品だけは文革を持ってしても非難することは出来なかった。紀念館
は生原稿や遺品、作品世界のジオラマや絵画などが展示され知らな
いと面白くないだろうが、館内の売店には中国作家の本・グッズが
揃っている。オススメは魯迅の代表作「阿Q正伝」と「短編集・故
郷」の日中語両方を収録した本で日本版より訳がいいので、こちら
を読むことを推奨する。

紀念館から南に歩くと「多倫路」という昔の街並みを活かした観光
ストリートがある。その東側には多倫路文化名人街と呼ばれる古民
家郡があり、観光地ではないが人々のリアルな生活観が漂い、迷路
のように入り組んだ路地をどこまでも歩くのは探検じみた童心を呼
び起こして面白い。所々に社会主義スタイルの独特な売店でジュー
ス・煙草・雑貨が売っている。スモーカーはここらで煙草を補給し、
咥えながら歩くと風情が出る。上海の居住区の特徴は、周囲を塀や
外壁で囲ってあり専用の入口でしか入れないようになっている。入
口は狭く脇に守衛が居たりして通りにくく感じるだろうが、勝手に
入っても問題は無いようで惹かれる建物があったら行ってみよう。
(最寄の駅は「虹口足球場駅」「東宝興路駅」だが多少距離がある)

『その他』
中共一大会址紀念館には党メンバーの生々しい蝋人形が置かれ、官
憲に踏み込まれた時の状況がそのまま再現された部屋など芸が細か
い。また売店には党公認の徽章やメダルなどが手に入る。(最寄の
駅は「黄陂南路駅」で歩いてすぐ)

上海書城は巨大な総合書店で、その国の文化を知るならその国の本
屋を見るのが一番手っ取り早いと言われるように、現代中国文化を
知るには外せない。音楽CD・映像DVDも豊富で値段はかなり安
い。微妙な中国のアイドルや、エロビデオの代用品と思われる外国
ランジェリーショーのDVDには笑ってしまった。特筆すべきは、
暴力映像が豊富で戦争関連の映像は日本を遥かに凌駕する品揃え。
また軍事関連の書籍は専用のフロアが作られ、各国の軍事理論まで
翻訳されている。

有名な外灘の西洋式の建築群は、確かに魅力的な風景であるが観光
地化され過ぎて強い印象は残らなかった。周囲の現代的ビルの下で
霞んで見えるのは否めない。外白渡橋からの眺めが一番良かったの
で、見るならそこからを勧めたい。

次回は蘇州と帰国、収穫物について。


◆上海の歩き方3

■蘇州市

中国は地方や内陸部で治安が悪化していると言われるが、どうやら
かつての混沌が沿岸部から内陸部に移動してしまったようだ。中国
への旅行は北京や上海より地方や内陸部の方が面白いと言われるの
は、わずか100km奥に進んだだけでも実感できた。時間があれ
ば是非、地方に足を運ぶことを推奨する。どんな困難が待ち受けて
いるか分からないが、鉄道から眺める景色だけは最高だ。蘇州に行
った目的は運河の張り巡らされた古い水郷地帯を見たかったからだ。
しかしその目的は時間の都合で中途半端に終わり、その先に私を待
ち構えていたのは暗黒のハードスラムであった。

『蘇州行き鉄道』
鉄道には「軟席」と「硬席」、長距離用の寝台車にも「軟席」と「
硬席」の4種類がある。軟席は座席が広く指定席だが、近場なら硬
席をオススメしたい。帰りの時、列車が動き出してしばらくすると
一人のオッサンが立ち上がり大声でわめき始めた。初めはガイキチ
が発作を起こしたのかと思ったが、乗客のテーブルに商品を配置し
バナナの叩き売りのような口上で実演販売を始めた。オッサンがオ
ーバーアクションで「どーですかお客さん!?」みたいな感じで、
狭い車内を右往左往するのは大道芸的な面白さがあった。こういう
のは軟席車両ではやらないようだ。

上海市と蘇州市の周辺には、古い水郷村がいくつも在り観光スポッ
トになっている。それを見に行くつもりだったが、上海駅で軟席切
符を買うと2時間先の列車になっていた。今考えると座席指定の無
い硬席の方が何本か早い列車に乗れたかもしれない。適当に時間を
潰して駅内の待合室に入る、ホームへは入場制限があり職員の指示
が無いと入れない。列車が着くと窓側の席に座る。しばらく走り上
海市街を抜けると地平線こそ見えないが何処までも平地が広がる。
緑色の大地にまったく同じデザインの巨大住宅ビルが100は有る
のではないかと思うほど立っている。これが社会主義建築と言う物
か、これはこれで爽快な眺めである。さらに進むと近代的な風景は
薄れてゆき、田園地帯を蛇行する川に木舟が浮かんでいたり、中国
服を着た子供らが水辺で遊んでいる。まるで「世界の車窓から」だ。

『蘇州市街の運河』
蘇州駅は上海に比べると田舎っぽい、人も物も。改札を出ると凄ま
じい人の海で、ガイド冊子を売るババアやタクシードライバー(3
輪オート)の怒涛の歓迎を受ける。物乞いは居ないが、タクシーの
客引きは引っ切り無しに現れどこまでも付いてくる。身体を引っ張
ってくるような乱暴なヤツもいるので落ち着いて地図を見ることも
できない。人気の無い所に退避するが、駅前は超大規模な工事中で
地図がまったく役に立たない。水郷行きのバス乗り場は地図に記載
された場所には無く、途方に暮れて迷走を開始する。駅前の道路は
渡る方法が皆無なほど往来が激しく、一時撤退し駅前の売店で飲料
水を買う。座って「南京」という銘柄のタバコを吸いながら一休み
する。片足の無い欠損少女が物乞いするでもなく通り過ぎ、どう見
ても下半身が無い男が両手で器用に歩いている。

再び道路横断を試み猛ダッシュで渡り切るが、どこに行けば良いも
のか分からず人の流れに乗って歩く。大河川がせき止められ仮設橋
が市街地に向かって延びている。そこを、どけ!どけ!どけ!テメ
エら目障りだ!!みたいな怒声を上げてオート3輪が何台も爆走す
る。日本の暴走族なんてチャチなものだ、彼らは生活を賭けてそう
している。行き当たりばったりで歩いていると目立たない所に水郷
行きバス乗り場があった。時刻表を確認すると水郷に居られる時間
は1時間も無い。万一乗り遅れると帰れなくなるので、仕方無く市
街地にある運河を歩くことで我慢する。

蘇州市街にも何本もの運河が走っており、適当な所を見つけて上海
と同じ要領で住宅区域へ入った。観光客らしい者は一人もおらず、
私はスーツにワイシャツという小奇麗な格好をしていたので、すれ
違う人も物珍しい顔をする。街並みは古く運河沿いの民家はどれも
風情が漂い上海とはまた違う趣に溢れている。細い路地から伝統的
な中国服を着た老人が、両手を互いの袖に通して前に出し、漢詩の
ような言葉を詠みながら歩いて来る。ジイさんアンタはまり過ぎで
ある。

『スラムを疾走する謎のアジア人』
足の裏が痛くなるまで散策し、風流な気分を満喫した私は蘇州駅に
帰ろうとした。前もって切符を買っておいた列車の出発まで1時間
はある。30分は余裕を持って駅に着くはずが、渡る仮設橋を間違
えたのが運の尽きだった。私が渡った橋は駅からズレており、大工
事により直接駅とは繋がっていなかった。道を戻れば良かったのだ
が、進んで迂回すれば駅に行けると思ったのが間違いだった。
高架下を通って駅の裏側に回ると、今まで見たことが無いほど荒廃
した風景になった。腐敗したようなビルと半壊した家屋が並び、や
ばい空気を感じるが人通りは多く警戒心を高めるほどではない。だ
が、時間は確実に消費しつつあった。線路沿いに歩いていたが、行
き止まりやらで迂回している内に風景は凄まじい物に変わった。そ
こらにゴミとガレキが山積みになっており、汚水があふれ出して、
焼却場のゴミ溜め場に居るようだ。その中に崩れかかった家屋や掘
っ建て小屋が建ち、住人はそこで生活している。あいりん地区や上
海のスラムとは比べ物にならない。見てはいけない物を見た気分だ
った、これは真に中国の暗部であろう。「この世の果て」と呼ぶに
相応しい、そして私は完全に道に迷っていた。

列車の出発まで残り30分になり、私は小走りを始めたが、複雑な
迷路のようで方向感覚も失った。行き止まりにブチ当たるたび走る
速度は上昇し、やがて、身なりの良い謎のアジア人がハードスラム
を全力疾走する、という奇怪な映像が誕生した。私の浮きっぷりハ
ンパでは無かった。汚水を弾き飛ばしながら走る私を住人たちは目
を白黒させて見ていた。トンネルと思って飛び込んだ所は住居で、
寝ていた住人のジジイが奇声を上げてパニックに陥り、私は急いで
逃げた。何故か謝謝という言葉を残して。小屋の軒先に吊るされ腐
敗したニワトリと、中途半端に解体されたブタの屍骸を走りながら
見る。写真に収めたかったが、もう残り時間は10分を切っていた。
大迂回しようやく駅までの目途が立ったが、5~6kmは走ったお
かげで息は切れて全身が痛い。これほど走ったのはここ10年以内
に無かったと思う。時計も見ずに改札を通りホームに向かうが、金
切り声を上げる女性駅員に制止され「もう遅い」と追い出された。
外はすっかり暗くなっていた。私はしばし途方に暮れて、また切符
を買って上海に帰った。

次回で最後、帰国について。


◆上海の歩き方4

■日本帰国

いつもそうするように、帰国の前夜は市街の中心地でビールを空け、
数日間の出来事をフラッシュバックさせながらその国に別れを告げ
る。22時過ぎ、見晴らしの良い人民広場のベンチで四方の景色を
もう1度目に焼き付ける。ほろ酔いでホテルへの道を歩き出し、地
面に這いつくばったホームレスの持つ皿に、ポケットの中の小銭を
すべてバラまく。ホテルの部屋に戻り2本目のビールを開けて、酔
い過ぎない内に荷物をまとめる。シャワーを浴びて着替え、3本目
のビールを開ける。明日の今頃は、またいつもの自分の部屋でこの
ように酩酊しているのだろう。少々のトラブルを交えながらも中国
旅行はほぼすべての旅程を終えた。私は軽やかに飛行機のタラップ
を降り、再び日本の地を踏む自分の姿を思い描いていた。それはア
ルコールが見せた幻であった。

『帰国延長』
すでに述べたように私は飛行機に乗り遅れた。恨み言は抜きだ、中
国がまだ俺に帰るなと引き止めたのだろう。JALとANAのカウ
ンターで日本行き航空券の値段を聞いたら片道8万円だった。外国
の航空会社でも大差無いだろうと思いフェリーで帰ることにした。
フェリーは片道2万円也。2日後に大阪行きの船があるのでフェリ
ー会社に電話をかけて予約する。上海市内に戻り直接チケットを取
りに行った。中日国際輪渡有限公司の職員は日本語に堪能で親切だ。
近くに安いホテルが無いかと尋ねたら、地図を書いて空きがあるか
連絡を取ってくれた。

行ったホテルは2泊で6000円と安かったが意思が通じず参った。
筆談を試みるが上手くいかず、うやむやの内に部屋は決まった。1
0時に出国して昼過ぎには日本に帰っていたはずなのにもう17時
になっていた。酷く消耗していたのでコンビニでビール(安い)を
買って何本も飲んだ。隣の部屋から中国語版『愛は勝つ』が爆音で
流れてくる。ヤケクソになり大声で合唱する。翌日は昼過ぎまで寝
ていた。外に出る気がしないので、魯迅紀念館で買ってきた本を読
んで時間を潰す。夕方に少し散策するがすぐ飽きてホテルに戻った。

『新鑑真号』
フェリー出航日、私はまた時間と戦っていた。フェリー乗り場が地
図に記載された場所に無く、どこにあるか検討も付かない。形振り
構わずそこら中の人に聞きまくった。言葉など関係無く、地図を指
差して「フェリーターミナル!フェリーターミナル!!」と連呼し
てたらギリギリで何とか辿り着いた。火事場のクソ力と言うやつだ
ろう。

この時、私はフェリー乗り場を尋ねてある中国人商社の事務所に乗
り込んだ。変な日本人がやって来て騒いでる、とその場の職員たち
は訝しげに見ていたが私が言った片言の英語が中国人には面白く聞
こえたらしく、事務所内を爆笑の渦に巻き込んでしまった、それか
らは相手も親切に教えてくれた。言葉が通じなくても、笑いやユー
モアがあれば気を許してくれるのだと思った。

ターミナルに辿り着き、出国審査を受けて乗船する。2等室を買っ
たのに何故か私の部屋は1等室になっていた、変な所で運が良い。
4月前だからか日本への留学生が大勢いる、どの国でもガキという
のはうるさい。出航の時間がきて船が動き出す。大きい船に乗るの
は初めてなのでソレはそれで愉しみであった。船内を散策しデッキ
に出る。黄浦江から上海の全景を見る、眺めは良い。船は長江に入
り外洋に出た。しかし、汚い海である。夜になると時化に遭い船が
大きく揺れる。壁に頭を何度もぶつける。今まで船酔いしたことは
無かったが、さすがに気分が悪くなってきた。酔い止め薬をビール
で流し込み何とか眠る。

翌日、起きて船内の食堂で食事をする。喫煙所で老人の日本人乗客
と話す、日本人と話すのは久々だった。すると若い男が飛んで来て
会話に加わった。若い男は日本人の語学留学生で、半年振りに日本
に帰るという。聞くと日本の留学生はやはり日本人同士で固まって、
孤独に陥っている者が多いらしい。これから上海に行く人は、日本
人に飢えた留学生にガイドを頼むと良いかも知れない。自分の船室
に戻るが、とにかく退屈で仕方無い。おかげで毛沢東語録を読破し
てしまった。読む本が無くなると、相変わらずアルコールに溺れて
時が経つのを見送った。


以上、上海の歩き方でした。