VIOLENT VIDEO INFO ARCHIVE

本拠は http://m4oism.org/xxx

猟玩狂時代II(海月水母の海岸線)

8月22日、我が731シアトルの夏季臨海実験が鳥羽方面
で実施された。実験場は安楽島海岸という安楽自殺みたいな
名前の海岸で、志摩半島特有のリアス式海岸に突き出た『う
なかみのがけ』などは、飛び降り自殺にはうってつけの高度
と景観を誇っている。

今回の野外実験では、ひさびさに己の猟玩者としてのセンス
が余すこと無く発揮される結果となった。海岸は夏もピーク
を過ぎたせいかあまり人が居らず、その代わりに人間たちの
浸入を阻止するかの如く大量のクラゲが機雷のように海岸線
を埋め尽くしていた。

私はこのように無駄に数だけ多い生命体(とくに水棲)を見
ると幼き日に形成されたA−10神経直通の回路が開き、老
廃し切った細胞が一時的に活性化するようになっている。こ
れは幻海師範が霊丸を撃つとき一瞬若返るようなモノだ。

最初、私は海岸に面した雑木林から適当な小枝を1本入手し
The Flippers Guitar−ワイルドワイルド・サマーよろしく
足首まで海に浸かった。私はその位置から手にした小枝で、
冷静に次々とクラゲを刺殺していった(背後に立つスタンド
はシルバー・チャリオッツ)。

クラゲの軟体を刺したときの手応えというか歯応えというか
ソレはなかなかクセになる感触ではあったが、このクラゲと
いう生物はイキモノというよりも植物に近い印象だったので
生命体の命を屠っているというよりは、学校の帰り道、歩行
する際に生じる力で雑草類を引き千切りながら家まで歩くと
きの心象に近かった。

越前クラゲなどの害に悩まされている日本海側の漁師組合に
は、このクラゲを小児向けの嗜虐物として販売することを勧
めたい。ウェイトはデカいが、血も出ないし内臓も飛び出な
いので後始末も簡単。ハムスターやネコに代わるオルタネイ
ティヴな存在として有効活用してはどうだろうか?コスト
をかけて食物にしたりするより、その方がお金が儲かります。

そろそろ刺殺するのにも飽きてきたので、私は小枝に刺した
クラゲを海に向かって投擲した。3〜4メートルほど飛んで
水飛沫があがる。その光景に沖の方で仲良くゴムボートを漕
ぐカップルの姿が重なる。その瞬間、私の中でひらめくモノ
があった。

私は同行した2名の研究員を呼び付けると、すぐさま海の家
へ行ってゴムボートをレンタルしてくることを指示した。ビ
キニ姿の女のケツを追うしか興味の無いような人間が、渋々
とゴムボートを借りてくると、私はそれに乗って5メートル
ほど沖に向かうことを指示した。

彼らが指定の配置に着くと、私は足元を漂う大きなクラゲを
手づかみで取りボートに向けて猛烈な勢いで投げ付けた。ク
ラゲはボートの近くに着水すると大きな水柱をあげた。する
とボートの乗員から「やめろ!」「死ね!」「キチガイ!」
などと罵声が飛んでくる。私はそんなモノには構わず次々と
クラゲを投げ始めた。

クラゲがボートに当たると「ボンッ」と大きな音がしクラゲ
がボート内に突入しようものなら乗員は大混乱だ。私は狂笑
しながら周囲のクラゲを投げ続けた。しかし、乗員もさるも
のでボートのオールを使い飛来してくるクラゲを器用に打ち
返し始めた。これは面白い、名前を付けておこう。
『海岸』『ボート』『砲撃』『上陸』=ノルマンディー上陸
という連想で私は是をノルマンディー上陸ごっこと命名した。

初めは怒りに狂ったツラの乗員たちも、この面白さを理解し
てくれたのか戦闘を愉しむいくさ人の顔になっていた。私も
攻撃してばかりではアレなのでボート側にまわった。
防御も砲撃側に劣らず面白い。ブヨブヨした気味の悪いクラ
ゲが顔面を直撃したりもするが、オールで上手くヒットさせ
るとクラゲは空中でゼリー状の肉体をバラバラに飛び散らせ
太陽の光でキラキラ光る。なんて爽快なスプラッター。

私たちは、それから帰る直前まで2時間もノルマンディー上
陸ごっこに興じた。いい年をした大人が、家族連れやカップ
ルでしめやかに賑わう海岸でこのような行為に没頭していて
は低能のそしりは免れないであろうが、何とも代え難い一時
であった。

こういうのを童心に帰ると言うのだろう。砂浜と海面には風
穴の空いたクラゲとその肉片が散乱し軽く悲惨な光景になっ
ていた。そして、海に沈む太陽を背に静かに実験は終わった。

プライベート・ソドミーニアック『防空壕とクソガキと死体』

(防空壕編)

私の生まれた所はクソ田舎であったが、大東亜戦争中には陸
軍か海軍の管轄かは分からないが、小さな滑走路をもつ飛行
場と、兵役から脱落した地元のバカや精神異常者やロクデナ
シを働かせる兵器工廠があり、近隣工業都市の防空体制の末
端を担っていた。しかし、大日本帝国の敗色が濃くなると、
このクソ田舎でさえ鬼畜米軍に目を付けられて、それらは数
回の爆撃を受けて壊滅した。

その戦闘中、バカの撃った高射砲がまぐれ当たりし、パラシ
ュートで脱出した米兵を村民たちが農機具でリンチして撲殺
した。そいつを村の中心に鎮座する、皇太神宮直轄の神社に
そびえる大鳥居へと吊るしまして、現人神たる天皇睨下にさ
さげた後、バラして皆でなかよく食べましたとさ。(バラせ!
毛唐ペニス!)

旧・日本軍では米英兵の肝臓を食うと弾が当たらない、など
という迷信が主に一部の上級将校と下級兵たちの間で流行っ
たそうだ。中国大陸での長い戦闘生活で、漢民族の食人文化
を吸収してきたのであろう。

などという民俗伝承は無く、私の祖父母とその近隣住民たち
は早々に防空壕へとバックレて、生命の危険に駆られて欲情
し、自分たちの子孫を残そうとヤり狂っていたに違いない。
そして、この爆撃に怯えながらのファックでできたガキのガ
キが私というわけだ。私が静寂のなか、突発的に起こる騒音
に異常な恐怖を感じるのは、特殊精神衛生学的に言えば、こ
の時に分泌された精子の遺伝情報が色濃く受け継がれている
為だろう。

しかし、こいつらには一億火の玉・七生報国・護国救済・尊
皇討奸・玉と砕けろ、という気概は存在しなかったのか? 
思うにどうやら、この村にはヒロポンの配給はされていなか
ったようだ。南洋の海上の戦闘機乗りたちは、ギンギンにキ
メたシャブで帝国海軍が世界に誇る零式艦上戦闘機を手足の
ごとく操り、敵機銃弾すら目で交わし(眼パイ)電光石火の
速さで敵機背後に回り込み、次々と格巴戦をモノにしていった。

だが、今となっては誰も責めまい。私だって空から米軍の爆
撃機が来たら隠れてしまうし、ロシアの戦車が上陸してきた
らさっさと逃げるから。

でも、逃げ出したその夜、こっそりと戻ってきて爆撃機の機
体にラッカー・スプレーを使って毒々しい下品な単語をたく
さん書き殴ったり、戦車の砲塔には猫やイカの死骸などを詰
め込んだりといった、テロリズムに走る夢をかなえる機会は
逃さないであろう。

小学生の頃は芯からの無頼漢であったが、中学生になって突
如、極度のノイローゼに落ち入り、それを消化してからは完
全な自閉体になってしまった私でも、生憎そんなナーバス作
戦を敢行するぐらいの気概は持ち合わせているつもりだ。

(死体編)

時は流れて現在へ、ここはあの頃と何も変わってはいなかっ
た。

あの防空壕は風雨にさらされ、一見朽ちたように見えるが曲
がりなりにも要塞の端くれである。今でも、100kg爆弾の直
撃くらいなら耐える事ができそうだ。そんな国民の生命を守
る施設も、半世紀近く後には地元の腐れ小学生の溜まり場に
なっていた。1980年末期、半径500m内にジュースの自動販売
機すら無かった(なぜかエロ本自販機はあった)場所で育っ
た野卑な児童たちは、立ち入り禁止の看板を無視して、厳重
に張り巡らされた鉄条網の一部分を切り裂き、何ぴとにも不
可触な領域を手に入れていた。

幼年期の長い期間、私たちはそこに篭もり、適当な畑からか
っぱらってきた農作物を貯蔵して食ったり、父親からくすね
た煙草を持ちよってふかしたり、拾ったエロ雑誌を隠し込ん
だり、単にダラダラと過ごしたり、壕内を掘ってさらに拡張
したりしていた。田舎モノ特有の視野の狭いシニシズムを早
々に獲得したガキどもは、家や家族よりもこの防空壕に安息
を見出していたように思える。

ある年の夏休みになり、早朝のラジオ体操を終えて一旦帰宅
してから私たちは例の場所、防空壕に集まった。その日、一
日をどのように遊ぶかを思案するまでもなく、適当に何かし
ていればそれだけで楽しかったが、どんな出来事も思い出に
なれば嫌でも美化されてしまうし、ガキは頭が悪いからか下
らないことでも快楽中枢が刺激されるので、いまいち信用が
置けない。

その当時、私たちのメインの遊びはドラクエごっこであった。
これは3〜4人でパーティーを組み、武器防具(主に木の枝
や石)を装備してさまざまな場所を徘徊しながら経験値(昆
虫を殺したり、崖から飛び降りるといった危険な行動をとる
と上昇)を上げレヴェルアップ(一定の経験値により自己申
告、またはメンバーの判断により)させていくという当時、
流行を極めたRPGゲームの要素を現実に持ってきた遊戯であ
る。

その日、我々パーティーの目指した場所は村外れの森に存在
したという飛行場跡であった。戦後に生まれた一部の子供が
必ず抱く、滅んだ祖国・大日本帝国に対する憧憬という物を
私たちは全員持っていた。その身近にある亡国の面影を見に
行くということもあってか、その日に冒す危険には気合いが
入っていた。

村を徘徊しているジジイ・ババアに攻撃を加え、ブランコに
逆立ちしてのダイヴ&ダイヴ、盗んだザクロの実を回し食い
して、クリフハンガー冒険隊のオープニングテーマをがなり
ながらヨレて、イカレて、肩で風を切って歩いていた。

神社の裏にある森林をぬけた私たちは、ガマの木が生い茂る
湿地帯に辿り着いた。周囲を取り囲む、この森の風景と不釣
合いなコンクリート郡が、ここがかつて軍隊の施設であった
ことを物語っていた。

私たちは手を貸し合いながら、壊れた高射砲の台座に登って
辺りを見回した。干ばつした地面のようにひび割れた、アス
ファルトの滑走路が広がっているのを見て、私は何か深い感
慨に襲われた。これが、共倒れして逝った情の残像という物
だろうか?? かのアドルフ・ヒトラーが、「我々の造る建
築物は千年後、廃墟になった時にこそ美しくなければならな
い」と、お抱えの建築家たちに命じ設計させたという。その
時、私にはその意思を理解できるような気がした。

一握りのセンチメンタリズムに浸ったのち、我々パーティー
は本日の真の目的への準備に取り掛かり始めた。スタンド・
バイ・ミーの例を挙げるまでもなく、少年の集団が志向する
のはいつだって死体だ。子供の使う頭は、爆撃されたからに
はそこでたくさん人が死んだだろう、だからそこを掘り返せ
ば白骨死体が出てくるに違いない、という短絡的な考えさえ
働けば、どのような努力すら惜しむことが無い。

我々はめぼしい場所を決めて、用意してきたシャベル・スコ
ップを使いところかまわず掘り返し始めたが所詮、あらかじ
め失われ、決してめぐり会えぬ面影である。数時間ほど発掘
作業を続けても骨はおろか、軍服の切れ端すら出てこなかっ
た。このまま、この日は後に思い出されることも無い記憶の
断片となるはずだった。が、ここで己のネクロフィリアック
な趣向を固める事態が生じた。何気にスコップを突き刺した
地面から「人間の親指のつめ」が出てきたのである。

狂喜した私は急いで四散していたメンバーを呼び寄せて、徹
底的にそこ周辺の発掘をはじめたが、もうそれ以上は出てこ
なかった。全員、内心ではビビっていたし、ドクロやアバラ
骨とはいかなくても、確かに当時の死体の一部を手に入れた
のだ。満足したパーティーは最短距離で防空壕まで走って
(ルーラと呼んだ)帰ってこの捨てることのできないレアな
アイテム「したいのつめ」を宝箱にしまった。

それからの日々もドラクエごっこは続けられたが、以後、私
たちの行うどの遊戯も、どこか死や屍体の臭いを帯びる物と
なっていった。(プライベート・ソドミーニアック5「猟弄
狂時代」参照)

彼らにとって死体こそ「にじのしずく」であり「じゃしんの
ぞう」であり「さいごのかぎ」なのであった、私たちには
せかいじゅのは」など必要なかった。

※参考資料

ドラゴンクエスト・アイテム一覧、××市××町の歴史、廃
墟美学の理論

メス豚・犬の餌 工場

12月になり、酷寒の満州で青年期を過ごした父祖の遺伝子
が蠢き始めたせいか、近頃、猟奇ハンターと化していた私は
衝動的に肉が食いたくなり、それらを集めて今晩の糧食とす
ることに決めた。

肉とは言っても、私の胃は脂肪分の多い物を摂取すると九分
九厘、吐き戻す構造になっているため、比較的脂身の多い牛
肉は食えない。したがって鶏肉や豚肉が己の肉食のメインに
なる。松坂牛などは論外である。

そこで、私はボウフラのような下級階層民の集うスーパーマ
ーケットで目的のブツを揃えに行った。食料品は量販店でま
とめ買いしろ、という他人の発言に触発された為である。行
ってみると、そこは貧困の滲み出る不快な老いたメスブタが
大量(実はたいした数ではないが)に徘徊しており、私は呼
吸するたびに脳細胞が萎縮してゆくような感覚がしていた。
墓地でつまずいて転んだ後の二足歩行のような、そんな歩き
苦しい場所だった。

私は辺境のプチブルジョワジーの末子として世に生を受け、
金銭的には何不自由の無い生活を送ってきた。が、しかし現
在の零落し尽くした己には分相応な場所ではあるのかも知れ
ない。いや、私という存在の対義語はクソ・ババアであるか
ら、少し違う。

店に入って最初の野菜売り場には、まったく目を向けずに通
り過ぎた。私は野菜が食べられない。次の魚介類売り場では
足が止まった。せまい水槽に入った無数の貝類が、臓器みた
いな気味の悪い物体を四方八方に露出させており、食指が沸
いてしまった。サザエだとかのつぼ焼きは好きだし、入り口
のフタに爪を食い込ませて殻から内臓ごと引きずり出すとい
う食い方も気に入っている。

海の食材を使った料理によく「残酷焼き」という名称が付く
が、私は見たことも食ったこともなく、その言葉の響きだけ
で食欲を司る神経が勃起してしまう。英語にするとCruel
baking、鋭角的なスラッシュ・メタルに乗せる詩が書ける。
さしずめ、田舎のガキが田んぼの用水路で捕らえたザリガニ
に、気が済むまでダメージを加えた後、キチガイ・ジジイの
起こした不審火にあぶって食らうと言った所の物を、私は想
像している。

ところで、先ほどから私の神経を逆撫でし続けているのが、
魚売り場のスミに置かれた安物臭さいラジカセから垂れ流さ
れている「おさかな天国」とか言う、ふざけた動物虐待ソン
グであった。このような歌を聴かされてはせっかくの食欲が
減退してしまうし、勢いづいて性欲や睡眠欲まで萎えてしま
う。喜ばしいことだが。日本は不況だとかほざく、中年とそ
の取り巻きはその原因を外国人や国民性の堕落になすり付け
るが、本当の原因は日本人の頭が悪く商売が下手だからだ。

一人間のほんのささやかな食欲を踏みにじり、あっさりと購
買欲を失わせてしまい経済が停滞する。そんな事では今の若
い世代やこれから生まれてくるだろう子供たちの将来が危ぶ
まれてしまう。望ましいことだが。

ちなみに、私のアタマの中で経営されるスーパーの魚売り場
ではTHE STALINの廃魚(※1)が流れている。肉売り場では
グレート・ハンティング(※2)と喰人族(※3)とムツゴ
ロウがライオンだか、虎だとかに指を食われているシーン
(※4)をサイケデリックに編集した映像がエンドレスで流
されており、奥にひそむ店員はレザーフェイスのコスプレを
したフリッツ・ハールマン(※5)である。

(※1)「腐った魚が食いたくて〜♪」と始まる嫌らしいナ
    ンバー。アルバムFISHINN収録
(※2)わくわく動物ランドをスタイリッシュに進化させた
    映像作品。
(※3)日本全国、どの場末ヴィデオ屋のホラーコーナーに
    も必ず置かれているお馴染みのタイトル。
(※4)ムツゴロウ(畑正憲)は地球上のありとあらゆる生
    物を食う事に執念を燃やしているらしい。
(※5)ドイツの国民的殺人鬼。浮浪少年を自分の経営する
    肉屋に連れ込み、ソーセージにして近所に配ったり
    (戦後の食料不足で大変喜ばれた)闇市に売っぱら
    ったり(戦後の食糧不足で高値で取引された)して
    いた。死因は死刑。

私の様々な思いが去来するスーパーマーケットの中、漸くメ
インの肉売り場に辿り着いた。蛍光灯の光をずらりと並んだ
赤色の肉片が反射してか、その区画全体が薄いピンク色にな
っている。そこで新鮮な肉を眺めていたが、くだらない事を
考え過ぎたせいか、すでに己の食欲は皆無になっていた。

それでも来た以上は何がしかを買って帰らないと、食べる物
が家には何も無い。やむをえぬ理由で売春宿に来て、ヤりた
くもない気分なのに、どうしようもなくて、無理矢理に女を
選んでいるような、そんな時ほど引くのはやっぱりブスで病
気持ちだったり、する。

己の目にかなう商品はどれも値が張り、今の食欲状態ではと
ても値段に見合う価値のある物だとは、その時は思えなかっ
た。精肉屠殺業者はボッタクリだと思った。悩んだ時はいつ
もの通り、すべてがどうでも良くなってしまい犬のエサとし
ても共用できそうな、安価な魚肉ソーセージと豚の腸詰めを
大量に買って帰った。

−エピローグ−

家に帰って食ったら吐いた。そもそも臭いと色が開けた瞬間
でヤバかったし、慢性的な私の胃炎が一口目で反応した。そ
の時点で眼前に広がるこの畜肉のカタマリは破棄されるべき
なのであったが、それでもがんばって食べた。知性の欠片も
無かったガキの頃に読んだ歴史漫画で親鸞だったか何かの愚
者が、
「人間が他の生物を殺生するのは、それを食する時にのみ許
 される」
というセリフを言っていた、私はそいつを実践したようだ。
そこから見出したものは、猫やハムスターを虐待して殺した
ら食え、私怨や金目当て人を殺したら食え、自動車で誤って
人をはね殺したら食え、内ゲバで殺したら食え、自殺したら
自分を食え。さすればすべての罪が許され、また人間に生ま
れ変われます。私は拒否したい。

しかし、胃が痛い、吐き気がする、胸焼けがする、我慢がで
きない、思いあまって、居た堪れなくて、口惜しくて、片腹
痛くて、末端神経そうじもできない。もう、私は家畜用屠殺
銃を咥えて延髄撃ってノックダウンしたい(死体)。

南蛮渡来のイカレたヤツ

くだらない事になった。
夜中に頭がテンパり、ベッドの上で速度の速い音楽にあわせ
て痙攣していたら誤って携帯電話を蹴り壊してしまった。昨
今、不要な出費を慎んでいたため自分の愚行を罵ったが、携
帯電話が無いと時報・天気予報・目覚まし時計といった生活
に必要不可欠な項目が抜け落ちてしまうので、だるいが新し
いのに買い換えた。

古い機種のを長く使っていた為、最新の機種など縁も興味も
無かったがカメラが付いているのには驚いた。

使い勝手が良く、ふと街中で小動物の轢死体を見かけたり、
うっかり殺傷事件などを犯しても、それを持ち前の直感映像
素質だけでカヴァーするのには限界があり、その一瞬の貴重
な映像を素早く鮮明に記録するのにこれはうってつけの機能
であった。

やはり人間の記憶には限りが有りその貴重な容量は、

「人間の体内から無数の寄生虫が食い破って出てきた」
「幼女が無数のクソオタに金属バットで撲殺されている」
「犯人のアリバイを崩すため、ババアの墓を掘り返したら孫
 の死体が入ってた」
「等身大エイリアン人形に対し性的ピグマリオニズムの行使」
「眼前に水爆が投下され、その瞬間に生じる物理学的奇跡」
「一ヶ村、焼き尽くし皆殺し犯し殺し吊るし殺し、エル・ト
 ポまたはポル・ポト状態」

と言った、ここぞという時にのみ使用した方が後々より人間
としての深みが増す因子となるだろう。トラウマと経験は同
義である。

私は空気銃を手に入れた中産階級のクソガキのような気持ち
になり、これから出遭う楽しいできごとを思い、胸が震えて
いた。この感情が淡く消え去らないよう、私は枕の裏に仕込
んである最新の死体写真集を読み始めた。こいつは南蛮渡来
の根こそぎイカレたブツで、どいつもこいつもヤバイ状態で
五臓六腑を床にブチまけている。

オマエの頭を開いてちょっと気軽になって楽しめ〜、などと
口ずさみながら、私は割れた頭部から白い脳味噌のはみ出し
たワンショットじっと眺めていた。久々に神経のトブ音が聞
こえて、それを皮切りに携帯電話のカメラ機能をONにし雑誌
の中からお気に召すまま、何枚も慎重に撮影していった。ア
タマの中のフィールドが軽い紛争地帯と化し、私はネクロフ
ィリアックな戦場カメラマンか、または餓え果てたハイエナ
と成りまして、そこをご機嫌よろしく徘徊し自由気ままに死
体を探す。

簡素なヘッド・トリップを終えた私はいくつかの画像を吟味
し、己のセンスを信じてもっともクールな一枚を選び出し、
携帯電話の待ち受け画像に設定した。見ると、適度に質の悪
い画像が被写体をよりよく引き出している。暫くの間はこれ
を身に潜ませての生活が続くのだろう、私はこの感覚を味わ
いたかった。

併せて、ポケットに刺突用ナイフやスタンガンを忍ばせるの
に飽きたり、時代遅れを感じたりするような、ワンランク上
を目指す芯から頭の腐った青少年に以上のような行為につい
ての一考を勧めてみたくもなる夜であった。

プライベート・ソドミーニアック『猟玩狂時代』

自宅の庭をとても穏やかな心持で歩いていたら盛りを過ぎた
梅の木の根元に大きなアリの巣ができていた。苔や枯葉に覆
い尽くされた地面に群がる黒いアリの大群はブッシュに迷い
込んだ特殊部隊のようだ。私はそれを呆けぇっと眺めながら
生態調査を開始した、調査の内容は外的抑圧による種の絶滅
である。私は屋内に戻り、ペットボトルに水をいっぱいに入
れ殺虫剤を持ち出した。久々のジェノサイドに私の胸は弾ん
だ。

巣の最も大きな穴にペットボトルの水を注ぎ込むと巣の中か
ら大量のアリが散を乱して這い出してきた。ざっと見て10
0匹程度は居るだろうか?私は狼狽した一個大隊に機関砲の
雨を浴びせるように殺虫剤を噴霧した。彼らの外骨格は素早
く化学物質に冒され、まともな方向感覚すら保てずに右往左
往としている。その様はまさに集団発狂、そして善良な市民
を発狂に追い込む兵器は人の手に収まる小中火器BC兵器だ
と感じた。私の心はその光景を鼻糞を穿るような感情で眺め
ていたが、昨今パレスチナ人を虐殺したイスラエル兵と水面
下でリンクしていた。NHKの報道が私に小さな生命を大量
に奪わせたのだ、これがキチガイの理論である。

話がそれたが、数分もするとアリはわずかに痙攣する程度で
そのほとんどが無力化してしまった。しかし、女王アリの亡
骸は見当たらないので一月も経てばまた復活してくるであろ
う。調査の結果としては、君たちは強い、果敢無むことなく
また産まれてきて下さい。

年甲斐も無く餓鬼の戯れに興じた自分に少し呆れるような気
にもなりますが、今回のテーマは幼年期における小動物の殺
戮遊びについて。

この世には餓鬼に弄ばれる為に存在するような生き物が存在
する。ここでも散々あげつらえてきたザリガニや蟻、甲虫の
類や水棲生物。自分の生涯を振り返ってみて、これらの生物
を面白半分に殺した経験はいくらでもあるだろう。それらを
やった事の無い、まさに虫も殺さないような人間も居るかも
しれません。そういう人は死んだら天国に収容され、また人
間に生まれ変われます。来世もがんばって下さい。

私の故郷は本州の有り触れた寒村で周囲には娯楽施設などは
存在せず、まともな公園すら存在しなかった。そうすると川
や森などで遊ぶ機会が多く、それらの生物とも接触する機会
が多い。普段は普通の遊び(鬼ごっこやゴムバット野球)を
しているが、飽きが来ると高学年者が率先して小動物殺しを
始める、低学年者はそれらを見て嗜虐の愉しみをおぼえるの
である。私もまだ穢れを知らぬ身体の頃に彼らの洗礼を受け
その愉しみを知った。小動物殺しにはその種類により様々な
作法があった。彼らから教わった中でイカした物をいくつか
紹介しよう。

モーターボート(使用する生物:セミ)

これは夏休みにのみできる遊びである。森の適当な木からセ
ミを何匹か捕らえ虫かごに入れ池や川に向かう(なるべく川
を推奨)。水際に立ちセミを手の平に収め(この時の持ち方
が重要になる)それを思い切り水面に叩き付ける。するとセ
ミは猛然とはばたき始めるが羽が水を吸っているので飛び立
てず、そのまま水面をモーターボートのように滑走し始める。
その光景が中々に愉快で力尽きて死ぬまで眺めるのである。
これでレースを行うという企画もあったが投入に失敗して上
手く行かなかった。この遊びは大変に難しく3匹に1回は成
功すれば上手い方だという高レベルな遊びなのである。

内臓破裂(使用する生物:オタマジャクシ)

これは結構にグロい物である、オタマジャクシに触れたこと
のある人なら分かるだろうが薄い皮膜の中に大量の臓器が詰
まっている。これを大量に手に掴み壁に投げつける、壁には
潰れた体内から飛び出た腸やら何かが大量にへばりつくので
ある。これを数日立って見るとその内臓がミイラ状になって
おり二重にグロい。さらにこれを発展させたのが私の考案し
ウシガエルのオタマを使った遊びである。たまたま遊んで
いた池で巨大なオタマ(人間の親指くらい)が大量に生息し
ており、池にタモを突っ込むだけで大量に捕獲できた。それ
を横にあった車通りの激しい道路にブチまけた。車輪に轢砕
された身体から内臓が糞のように飛び散り、それはそれは凄
まじい映像だった、本物のスプラッター映画だ。

蟻地獄(使用する生物:アリジゴク)

古い家に住んでいる人は縁の下を覗いてみるといい、運が良
ければアリジゴクの作る美しい砂丘が拝めるだろう。私は近
所の神社の境内下に大量に生息しているのを見つけ事の他、
お気に入りになっていた。正体は巨大なダニのような生物で
身体はデザート迷彩のようになっている、これが中心に居座
り地面に砂丘状の巣を形成しうっかりはまり込んだ生物を捕
食している。試しにアリを入れてみるとこれが本当に登れな
い、そして力尽きて中心へと埋まってゆくのである。一度、
巣を作る過程を見ようと思いアリジゴクを掘り出して地面に
放置した。するとアリジゴクはあっという間に地中に潜り始
め、10分と経たない内に立派な地獄を完成させた。何と素
晴らしい身体構造だろう、私は生まれ変わったらアリジゴク
になりたい。ちなみに素のアリジゴクとアリを戦わせてみた
事があるが、アリジゴクは簡単に腹を食い破られ死んでしま
った。

記憶の都合上で3つしか上げられなかったが、以前の諸投稿
や3の方も御参照下さい。他にも農薬や空気銃や花火・爆竹
キョウチクトウなどを使った遊びなどもありますが、危な
いのでまた別の機会に。

もう私は年を食って野で戯れるような事は世間体と精神衛生
状の問題で出来ないが、近頃の子供はここまで突っ込んで殺
っているのだろうか?少子化とかでそういう悪童どもと接触
する機会も無さそうではあるし、TVゲームで人間を殺しま
くるのも良いことだが、食物連鎖の頂点に君臨する人間の驕
りを思う存分に発揮する楽しみも伝えてあげましょう。これ
から親になるであろう皆様は、、、

※参考資料

なし

プライベート・ソドミーニアック『××××と遊ぶな子供たち』

#徘徊する屍骸について

映画を見ようと思い大きなレンタルヴィデオ店に行ったらD
VD化されたヤコペッティの「世界残酷物語」「続・世界残
酷物語」「さらばアフリカ」がホラーの棚にひっそりと飾ら
れるように置かれていた。懐かしいなと思いながらもドキュ
メンタリー調(?)の物はあまり見たことは無かった。ホラ
ー映画のDVD化やリマスター版が出るのは良い事だし、も
っと未成年に悪い影響を及ぼして欲しいのですが「死霊のえ
じき最終版」のように一番肝心な部分がカットされたりして
いるのを見ると少し残念な気持ちになります。

ゾンビに追いつめられた兵士が十字を切って銃をくわえ延髄
を撃ち抜くのだがその部分が見事に消え去っていた。人間は
追い込まれると自ら死を選ぶのだということを分かりやすく
表現した良いシーンなのに。同じく、ゾンビに取り囲まれた
兵士が狂笑しながら食われてゆく部分も無くなっていた。人
間は極限状態を越えると笑うしか無くなってしまうのだとい
うことを分かりやすく表現した良いシーンなのに。あとは
「俺のチンポを噛み切ってみやがれ、このノータリン!」と
いう名言も削除これではリビングデッド3部作の最後を飾る
に相応しい下品ぶりも台無しであろう。

ホラー好きの人と話すと「自分はどのような経緯でホラーに
はまったのか?」という話題で盛り上がる。自分の場合さか
のぼること10数年前、、、

小学3年生に上がったころKというひとり友人ができた。あ
る日その友人Kと昨日放送されたプレデターという映画につ
いて語っていた。生皮を剥がして吊るした死体のシーンの話
になり、私があれはクールだったみたいなことを言いったら
Kはもっとすごい物があるから家に来ないか?と誘ってきた。
私は快諾し期待とわずかの恐怖感を覚えながら放課後、家と
は逆方向の道を歩き新しい友人の家に向かった。その道のり
「それは13日の金曜日よりも怖いのか?」などと尋ねる私
を見てKは口元を微かに動かすように笑った。

家に入り奥に通された場所はKの父親の部屋だった。カーテ
ンの閉まった薄暗い部屋の窓からは西に傾いた太陽の光が差
し込んでいる(その日は4時限授業)。Kの父親はホラーマ
ニアのようでテレビ下のラックにはずらりと黒光りしたヴィ
デオテープが並んでおり、その背にはマジックで下品なタイ
トルがいくつも書かれていた。Kはその中の一本を取り出す
とデッキに挿入した、それがDAY OF THE DEAD(邦題:死霊
のえじき)であった。

私とKは3人がけのソファーに並んで座った。外部入力の黒
い画面から淡い色の映像に変わる、テープからテープへダビ
ングした物のようで画像が粗い。TVの洋画番組で見るよう
な鮮明な映像と違うせいもあり、アタマから尋常でなさそう
な雰囲気が漂っていた。冒頭の壁から無数の手が出てくる場
面は大した印象も無く過ぎ、問題はヘリコプターから都市に
降り立ったシーン。「ハロ〜ハ〜ロ〜」という悲痛な呼びか
けに答える物は無く、ホコリを被ったミニチュア模型のよう
なゴーストタウンのいたる所から腐乱死体が動き始める。群
れをなした大量のゾンビは声のする方向へメインストリート
を一直線に進み、その横で人類の滅亡を告げる古新聞が風に
扇られている。その光景に因って私は生まれて初めて”世界
の終わり”という概念(狭義の意味で)を持った。

そのような状態にある私を尻目にKはゾンビに腹を裂かれる
人間を見て膝を叩き嬉々とした声を上げていた。自分はどの
ような反応したら良いのか迷っていたがKに吊られるように
笑うことにした。私は人生における些細な岐路のひとつを考
えられるうちもっとも酷い方向へと進むことになった。映画
が終わり感想もそこそこにK宅を出るとすっかり薄暗くなっ
ていて道すがら何度も後ろをふり返ったり、曲がり角の向こ
うに立っている腐乱死体の幻覚に怯えつつ帰宅した。その日
の夕食は食べれたが夜に嫌な夢を見た。

味をしめた私はそれからもKの家に通うようになり「死霊の
はらわた」「悪魔のいけにえ」「ヘルレイザー」といったお
馴染みの名作といくつかの駄作、そして運悪く揃っていた
「ジャンク」など色々見せてもらったが、これらの悪影響は
凄まじく学校でも頻繁に行動を共にし悪趣味仲間としていく
つかの奇行(2001/05/13(日)22時45分05秒の投稿参照)を犯
すことになる。

しかし、Kとは中学校に入った辺りから疎遠になり高校が分
かれてからは会うことも見かけることも無くなってしまった。
それから何年も経過したある日、古い同級生の通夜の席でK
と再会した。久々に話しかけ「どうでしたか?」みたいな事
を尋ねると、Kは膝をぶっ叩いていた時と同じ下品な面を向
けて「本物の死体が見れて嬉しい」と言った。私は腹を抑え
て笑ってしまった、今ならあの時見せたあなたの頬笑みの意
味を理解することができます。

※参考資料DAY OF THE DEAD、児童心理と精神衛生について、
 心理的負荷による精神障害

プライベート・ソドミーニアック『幼少年的グレートハンティング』

#肉食について

狂牛病の肉が食いたくって仕方無いのはこの地球上で私一人
なのでしょうか?古に病毒に冒された肉を食らって身体に免
疫力をつけるという奇怪な治療法が存在したように。という
わけで肉食についてですが、この世にはベジタリアンなる草
食人間も存在します。基本的に雑食動物(代表的な生物はヒ
ト)の肉は不味いと言いますし、反対に草食動物の肉の方が
美味いという事です。ことを人間の肉に絞ると比較的、女よ
りも男の方が味が良いらしく成年よりは未成年。良質な人肉
を食したい向きには草食で育てた年の頃、12歳〜16歳あ
たりの男子で調理すると良いでしょう。

私は先に出たベジタリアンと逆で肉食中心、変わりに野菜が
まったく食えずサラダ類には手を付けた記憶がない。しかし、
菜食主義者の何割かは動物愛護の人間だったりするのでしょ
うか?肉なんて気持ち悪くて食えないという人の話をたまに
聞きます。肉に浮き出た血管が気持ち悪い、鶏肉の肌が気持
ち悪い、脂身の触感が気持ち悪いなど色々ありましょうが、
例としてこんなエピソードを、、、

小学校の給食に鶏肉のモモを炒めた物が出た時、同じ班の女
の子がそれを食べるのに躊躇っておりました。私は嫌がらせ
のつもりでボーイスカウトで見たニワトリの絞め方を嬉々と
語ってあげたら泣き出した。そしてすぐさまこいつのせいで
給食が食べられなくなったと担任だったババア教師にチクっ
た。

このババア教師は私を異常に嫌っていたので合法的に殴る機
会ができたとばかりに往復で平手を食らわせ、おまけのよう
に「食事中のヒトにそういう話をしてはいけません」とか、
鼻糞をほじりながらでも吐けるような寝言を言った。当時の
私は今よりさらに知能が低く「キサマは孫の顔を見る前に必
ず殺す」ぐらいの事しか頭の中で言えなかった。

現在なら殺生の理と性悪説と屠殺論を絡めつついかに人間が
醜く汚く卑しいかを退化生物に知らしめる、等といったこと
を気違いの振りをしながら反論として扱えるのだが、もはや
叶わない願いである。そして今では、その好物の鶏肉を痛み
の残る頬の中に放り込んでは不味そうに食べた記憶を思い出
しつつ、あの女の子は今でも私のせいで肉が食べられないで
いるのだろうか?などと考えると口元に品性の無い笑みが浮
かんでしまうのです。

#共食いについて

ともぐい【共食い】同じ種の生物が互いに食い合うこと。
大辞林第二版)

共食いをする生物をとして簡単に思い当たる物はカマキリ・
ザリガニ等といった所でしょうか。取り分け深い思い入れを
持っているのはザリガニです。このザリガニは私の「悪趣味」
の礎を形作った原体験でもあり、そんな禁じられた遊びも真
っ青の幼少年的グレート・ハンティングなエピソードの下に
歪解していきたいと思います。

幼少のみぎり、私はしかるべき時期になると裁縫用の糸と小
魚の煮干しを持ってはよくザリガニ釣りに向かう萎小な太公
望であった。近所の廃屋の傍にある埋められた井戸が小さな
沼になっており、そこは私の秘密の漁場になっていた。鬱っ
そうとした雑木林の陰に乗られ立ち入り禁止の看板が掲げら
れてもおかしくないくらいに目立たず、環境が良いのか大量
のザリガニが生息していた。

適当な木の枝を折り糸と餌をくくりつけ釣り竿が完成。糸を
垂らすと物の1分と待たずに何かが食い付いた感覚がし、慎
重に糸を引き上げると濁った水の中から赤い外骨格がゆっく
り鮮明に浮かび上がってくる。この瞬間は一度味をしめてし
まうと癖になり、特に大きな獲物を捕らえた時の快感は何事
にも変え難い気分にもなった。

ある季節には朝から陽が落ちるまでひたすら吊り上げ続け、
プラスティックバケツ3分の1ほどの数になっていた。次第
に日が暮れ始めそろそろ飽きてきた私はバケツでガサガサと
激しく蠢くザリガニの音に気付いた。何かとバケツの中を見
ると同居個体同士が互いに巨大なハサミを食い込ませ捕食し
合っていた。私は吃驚しながらも好奇の目で観察を始めた。

やはり巨大な固体の方が強く脱皮したばかりの幼体の外骨格
を容易く破りその肉を食す、しかし小さい成体が数匹がかり
で巨大な成体を襲うパターンもある。この光景は吊る快感を
あっけなく乗り越えるほど刺激的で示唆に富んでいた。病み
付きにもなった捕獲行為はこの共食い-cannibalism-を見る
為だけの過程にすぎなくなってしまった、、、しかし、落ち
てゆく太陽を背景に共食いを見つめる少年と言うのもなかな
か絵になる光景であろう。(この餓鬼がザリガニの群れの中
に生きたカエルやミミズなどを入れ始めるのはもう少し後の
事である)

因みにこの沼のザリガニは私の乱獲により生態系が崩壊した
のか全滅してしまった。

※参考資料食人大統領アミン、甲殻類の食性、ざりがにの飼
 い方、アルビノイドの生体報告