VIOLENT VIDEO INFO ARCHIVE

本拠は http://m4oism.org/xxx

足尾銅山で見た景色

 

2013/02/17 栃木県日光市(旧・足尾町

 

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わたらせ渓谷鐵道

 

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入り口となる通洞駅

 

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駅前の無人家

 

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事務所のような廃墟

 

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鉱山へは立ち入り禁止

 

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橋は途中で封鎖されている

 

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上流側の景色

 

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精錬所周辺の山は赤い

 

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精錬所は外からは何も見えない

 

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要塞のような山の上にある

 

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鉱山職員の社宅跡が保存されている

 

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 川の水

 

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メインストリート

 

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上流から下流へ向かって散策し帰宅

暴力描写研究入門

■1

フィクションとしての暴力描写(ハラスメントは除く)の研究家を
名乗ろうと思ったが、それには科学的根拠のある知識が必要不可欠
ではないかと考えウィキペディアで掻い摘んで調べた。

まず暴力とは何か。
『暴力とは他者の身体や財産などに対する物理的な破壊力をいう』
http://p.tl/BA6C

そして破壊とは何か。
『物に対し一定以上の負荷が加わると物が壊れることから、意図的
 に過激な負荷を掛けて壊す行為を指す』
http://p.tl/DaQw

これで暴力及び破壊といった行為の一般的な意味がおさらいできた。

次は暴力から生まれる具体的な損傷の区別が必要になる。とりあえ
ず人体を例にした場合、暴力的要因から生じる肉体組織の物理的な
変化は総じて『創傷』と呼ばれる。
そこから、切創・裂創・割創・擦過傷・挫滅創・挫創・挫傷・銃創
爆傷・刺創・杙創・咬創と、さらに分類される。傷の状態の詳しい
解説は下記のページを参考。
http://p.tl/n0m1

そして体表組織のみならず打撲による『骨折』、火や酸性アルカリ
性物質による『熱傷』、毒物による『中毒』の知識も必要となるだ
ろう。以下参考ページ。
骨折:http://p.tl/L3PT
熱傷:http://p.tl/kQJF 毒性学:http://p.tl/Aa6f

これに野戦病院や災害医療で用いられるトリアージ判定の知識を踏
まえれば、映画やアニメ、あるいは漫画や小説などで描かれる暴力
のレベルを分析する基礎が出来るのではないだろうか。
トリアージhttp://p.tl/GyOr

以上を基に『環境』や『武器』また『ファンタジー的暴力』の特性
といった要素に絡めれば、研究の素養が出来たと言えないだろうか。

■2

今度は暴力を発生させる際の人間の感情、あるいは心理的な状態の
基本を調べたい。

人間の感情は簡単に分けて喜怒哀楽と称されるが、生物学者のダー
ウィンは
『怒り』『悲しみ』『幸福感』『嫌悪』『恐怖』『軽蔑』『驚き』
の七つを生物的な基本感情とした。
さらに心理学者のポール・エクマンは
『喜び』『楽しさ』『満足』『困惑』『興奮』『自負心』『安心』
『罪悪感』を心理的な感情として分類した。
感情:http://p.tl/KqQO

人間の暴力は主にこの15個の感情を含んだ形で行われるのが分か
る。それは『怒り』による暴力や『恐怖』による暴力と言い表せる。
例えば『楽しむ』ための暴力や『満足感』のための暴力と言えば快
楽殺人者や加虐趣味者の視点となるし、『悲しみ』からくる暴力や
『罪悪感』からくる暴力と言えば複雑な心理状態が見て取れる。

まったく無感情な暴力というのは人間である以上有り得ないし、そ
れが可能なのは機械や捕食行為のみの動物・昆虫である。でなけれ
ば夢遊病者や極度の心神喪失者という稀なケースになる。

では映画『13日の金曜日パート2』におけるジェイソンの行う暴
力について考えてみよう。彼の行う暴力の根源は母親を殺されたこ
とや虐待されたことに対する『怒り』であるし、奇形である自分が
一般社会から受ける迫害に対する『恐怖』が憎しみとなって暴力を
発生させる。この2つの感情によって彼の暴力は説明できる。

では映画『地獄の黙示録』の主人公であるウィラード大尉の行う暴
力はどうだろうか。軍人としての『自負心』があるし、ベトナム帰
還兵として通常の社会に馴染めなくなった『困惑』がある。敵国兵
に対する『嫌悪』があるし、兵士として戦う『楽しさ』もあっただ
ろう。しかしカーツ大佐の王国に辿り着いてからの彼の暴力を簡単
に感情や心理状態に結びつけるのは難しい。それを映像の中から推
測するのが暴力描写分析の愉しみと言えるだろう。

ついでに映画『ゾンビ』で登場するバイク軍団の暴力はどうだろう
か。ゾンビが大量発生したことによる『恐怖』。それから逃れ『安
心』を得るための暴力。社会の無秩序に『興奮』した暴力。物資を
略奪する『喜び』としての暴力など、様々なパターンが読み取れる
しゾンビの視点で見れば夢遊病や極度の心神喪失という稀なケース
になる。

この15個の基本感情は暴力を行う側だけでなく暴力を受ける側に
も結び付けられる。様々なケースは考えられるが、大抵は『恐怖』
という一点で片付けられるだろう。暴力を受けて『喜ぶ』なんての
はマゾヒストだ。
無論、すべての暴力が15個の感情に結び付けられる訳ではないが
これ基本として据えておけば凡その見当が付くのではないだろうか。

■3

今回は暴力の行う側と受ける側の置かれた関係性について調べたい。

暴力が発生した際それを行う側と受ける側の関係は大きく分けて以
下の3つと考える。
『無抵抗な者に対する暴力』
『抵抗する者への暴力』
『相手に気付かれない形での暴力』

まず『無抵抗な者に対する暴力』とは。
暴力を行使した場合に、対象から一切の反撃を受けないものを指す。
例えば手足を完全に拘束された人間や抵抗意志が無い者、あるいは
できない状態をこれに入れる。例えば拷問や航空機等による、対空
兵器を持たない対象への暴力がこれに当たる。対象が人間や動物ば
かりでなく建物や植物などの物体もこれに含む。この暴力は行う側
の能動性によって発生し対象はそれによる肉体的・物体的な損傷を
もって描写される。

ただし、例えば民家の窓ガラスを破壊した場合窓ガラス自体は無抵
抗な物であるが民家の住人にすれば、それは次に述べる抵抗する者
への暴力と繋がる可能性がある。

次は『抵抗する者への暴力』とは。
暴力を行使した場合に対象から反撃を受ける、あるいは両者とも相
手に暴力を行う意志をもって生じる関係である。暴力と暴力の応酬
であり、これは一般的な戦闘状態と言うことができる。この関係か
ら生じる実際的な動きを、もっとも実戦的と呼ばれるイスラエルの
軍隊格闘術クラヴ・マガでは、戦闘の基本動作を以下のように定義
している。

・脅威の排除
・怪我の防止
・防御から攻撃への素早い転換
・反射神経の利用
・ダメージを与えやすい部分を狙う
・近くにある道具や物体の利用

これが暴力対暴力の合理的な動作であるとした場合、これらが極端
に欠落した暴力描写は非合理的なものと呼べる。これは少数対多数
であっても同じである。無論、すべてが合理的な描写である必要は
無いのであくまで基本として頭に入れておきたい。
クラヴ・マガ:http://p.tl/71ca

そして『相手に気付かれない形での暴力』とは。
これは暴力を行う側が、抵抗する意志の有るもの無いもの問わずそ
の意志を決定する間も与えず発生する暴力である。これは暴力を受
ける側が、暴力を行う側の存在を意識しない状態で描写される暴力
と言える。一般的に奇襲・暗殺・不意打ちと呼ばれるものである。

これは先に挙げた2つの暴力の前哨行動にもなるし、抵抗する者を
無抵抗な者へ強制的に変化させる暴力にもなる。『抵抗する者への
暴力』で述べた戦闘状態を回避することもできるが、複数人で応酬
される暴力においては戦闘状態の延長線上にある行為と言える。よ
って『相手に気付かれない形での暴力』とは状況に応じて有為転変
に描写されている物と位置付けられるのではないだろうか。

北京の歩き方 3

10時前と、少し遅めに起床した。だが気温と体力のバランスを考
えるとこれぐらいで良いかも知れない。
最終日は天津まで足を伸ばすか、あるいは気合で内モンゴルまで長
駆するか。色々と考えるが、リスクコントロールの結果、予定通り
「盧溝橋」へ向かうことにした。

盧溝橋は日中おもしろ大戦の発火点であり、北京郊外の南西部に位
置している。近くには抗日戦争記念館という中国最大の反日スポッ
トがある。館内は反日感情に満ち溢れているだろうから、日本人1
人で乗り込んだらスパイのような気分が味わえるだろうと思った。

市内からバスで1時間ほどの距離にあるが、私はここで一計を案じ
て、ただバスで行って帰ってくるのでは芸が無いから、徒歩で向か
おうと思った。地図を見ると、地下鉄の西端手前で降りたら、後は
ひたすら南に歩けば到達できる。歩きながら郊外の町並みや人々を
眺めるのも一興だろうと思った。

再びホテルの1階で大して美味しくない中華を食い、バッグに水の
ペットボトル1本と菓子パンを1つ放り込んで出発した。

■盧溝橋へ

地下鉄1号線の八角遊楽園駅で降りる。パクリ遊園地として有名な
石景山遊楽園があるが、そんな物は目にもくれない。歩兵が目指す
のはいつも橋だ。
地下から地上に出るとさっそく東南西北が分からなくなった。よく
地図と見比べて南への道を歩き出す。磁石を持ってくれば良かった。

ハイウェイの高架に沿って進んだ。高層ビルの影は無くなり、空が
低く広く見えた。郊外は都心よりも落ち着いた感じで、朝の澄んだ
空気とは言えないけど、黄砂混じりの乾いた空気もまた、大陸風
で心地良かった。寒いが、前日より風は弱い。先は長いがこの開放
感に助けられて足取りは軽い。

[道中写真1]
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しばらく歩くと、軍人の姿が目立つようになってきた。見ると軍の
病院が在ってそのせいだろう。なかなかもの珍しい光景。やがて車
道が大きくなり、高速に入る車と降りる車で慌しくなった。
ここで、南へ通じる道が無くなった。ハイウェイへのランプが複雑
に絡み合って、道が左右二手に分かれている。地図とよく照らして
しばらく悩んだ。過去の経験上、ここでのミスは旅の運命を左右す
る。自分のカンと嗅覚を頼りに決断し、右へ進んだ。

だだっ広い道が続き味気の無い景色が続く。郊外はとても埃っぽく、
たまに水で潤さないとノドに悪そうだ。長いカーブを曲がり切ると
建物が見え始め、目も落ち着く。やたら軍の施設を示す看板が現れ、
巨大な軍用トラックが出入りしている。ぽつぽつと歩いている人間
も軍人ばかりだった。だんだん自分の存在が浮いてきて不安になる
が足を進めた。

鉄道が何本も走り、廃線と現役の路線が交じり合い、時折長い貨物
列車が大きな音を立てて走っていく。

[道中写真2]
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鉄道をまたぐ大きな陸橋を進むと、前方から見るからに野蛮そうな
色黒の老軍人コンビが歩いてくる。
人民解放軍の制服とコートをラフに着崩し、型の崩れたウシャンカ
帽子、胸に1つだけ無造作に付けた勲章が風にブラブラ揺れている。
とてもバンディットな出で立ちで、チベットで20〜30人ぐらい
殺してそうな臭いがする。ふと、殺そう殺そう私は兵士の歌を私に
イメージさせた。

彼らは私を凝視していた。何か言われそうな気がしたが、案の定に
声をかけられた。敵意は感じられないが、無論中国語なので意味は
分からず、私は愛想笑いのようなマネをしてスルーした。
もしかしたら「オメェこんな所で何してんだ? この先は何も無え
ぞ」とか、そんな事を言ったのかも知れない。恐らくそうだったの
だろう。なぜなら、私は道を間違えていたのだから。

陸橋を越えると景色は広がった。長距離トラックの休憩所のような
ボロボロの建物が連なり、酒やタバコを売る商店と汚れた犬がヨタ
ヨタ歩いている。反対側ではトラックの修理場があり、整備中や解
体された車両が四散している。砂とゴミだらけの脇道を進み、この
辺りでタクシーやバスがまったく走っていない事から、道を誤った
のではという気がしていた。

[道中写真3]
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もう2時間は歩いている。引き返すのも無粋だと思い、このまま前
進しようと思った。誤った道を進むのは私の十八番であるし、この
景色も悪い物ではなかった。

この先には、再開発から生じたゴミやガレキを集積した巨大スクラ
ップ場があった。アスベストやPCBやらが大気に混じって体に悪
そうだ。そういうのはテンションが上がる。世紀末の世界に居るよ
うで、何もかもが灰色に見えた。

足が痛くなってきたし、ペットボトルの水も残り少なくなってきた。
そろそろ引き際かと思ったが、まだ歩く。

河川敷のような物が見えてきて、子供たちの遊ぶ声が聞こえる。川
に出れば盧溝橋に向かえるという希望もあったが、土手に上がって
みるとその先には干上がった川底と、枯れた針葉樹林がどこまでも
広がっていた。
あとはボロボロの廃線が川を渡っているだけで、道のようなものは
無く、おおよそ正気の人間が歩くような土地ではなかった。ここで
盧溝橋行きは完全にあきらめた。

それでも少し歩いた。最終的に私は「北京水泥厂」とかいう、謎の
巨大施設にたどり着いた。それはセメントの工場らしく、中国語で
セメントとは「水泥」と書くということを知った。
どうやら私は歴史スポットとはまったく、程遠い場所に来てしまっ
たようだ。泥水にまみれ、枯れ果てて、まるで我が人生の行く末を
暗示しているような風景を見に来たのだった。

ことのお終いに、私は水の流れない川に架かる、味も素っ気も無い
橋を渡ることにした。

■後日談

足をパンパンに腫らしながら、少しはルートを変え、出発地点まで
歩いて戻った。途中でスラムやら軍施設に迷い込んだりしたが、無
事に帰った。帰国してから、自分の足跡をグーグルアースで調べた。

ブルーが想定上のルートで、実際に私の歩んだ道程はピンクである。
早い段階で大きく西にずれているのが分かる。
しかし、ブルーのルートで果たして辿り着けたかは大きな疑問があ
り、始めから歩いて行くなどというのは無謀なマネであった。

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■帰国

夕方にホテルに帰った。疲れ果てて、もうそれ以上は動けなかった。
何だか5度目でようやく理想の旅ができたような気がして、他人に
薦められるような物では無いが、満足であった。

夜になって最後に天安門へ行き写真を撮った。あまった小銭をホー
ムレスに寄付しようと思ったが、寒さのせいか見付からなかった。
ホテルに戻って何故か興奮状態に陥り、なかなか眠れずにたくさん
ビールを空けて寝た。
そして、何のトラブルも無く飛行機に乗り込み、私は帰ってきた。

以上、北京の歩き方でした。

北京の歩き方 2

朝は9時頃に起きた。朝食はホテルの食堂で、バイキング形式でや
っているが約1500円と高い。腹が減っては旅はできないので1
40元を払う。中華料理と西洋式のパン類が沢山並んでいる。中華
をメインに食うがあまり美味しくない。とりあえず腹は膨れた。

服を着替えて外に出る。とくに目当ての場所は無かったが、1日目
は気の向くままに行こうと思った。
ロングコートとマフラー、ズボンの下にタイツをはいていたが、猛
烈に寒い。何よりも風が強かった。ボディはまだしも顔面と耳が痛
い。ダウンジャケットあたりと耳当ても用意するべきだった。手袋
も無かったので後々、タバコに火が付けられず苦労した。少々準備
を怠ったようだ。

天安門広場紫禁城

とりあえず天安門広場へ向かう。10時前なので人の数が多い。広
場に入るには武装警察が見張るゲートを通り、さらにその先でX線
検査とボディチェックが行われている。前回よりかなり厳重になっ
ている。
広場に入ると、2度目なので感慨は無いが、スターリン様式の建築
物を見ると中国に来たと実感する。主席の蝋人形はパスし、歩いて
故宮(紫禁城)へ向かうことにした。

前回はメインの太和殿が改修中で、その周辺には近寄れなかった。
映画の「ラストエンペラー」が大好きで、そのラストシーンの雰囲
気を味わいたかった。しかし、映画と違って柵があり、殿内には入
れず外から眺めるしかなかった。
肩透かしを喰らい、城内をフラフラ散策する。いよいよ風が強くな
り身体が凍えてくる。軍機処という、かつて皇帝の最高諮問機関だ
った建物が粗末な展示場になっておりそこで暖を取る。早々に切り
上げて次のスポットへ向かう。

■西単

北京の渋谷といわれる、地下鉄「西単駅」へ向かった。そこには北
京最大規模の書籍・レコード店がある。まずそこへ入った。しかし、
特に目を引く物は無かった。やはり店作りなどは上海の方が1枚も
2枚も上手だと思った。
ただ、店内を巡回している警備員らしき者たちが緑色の制服と紅い
腕章を付けており、紅衛兵のように見える。エレベーターの番をし
ている女性が美人だった。

駅周辺は評判通り若者が目立ち、服屋が並び活気がある。路地の短
いフートンでは屋台が並び、肉の焼けるいい臭いがしている。フラ
ンクフルトのような物が美味しそうで、2本買って食ったら死ぬほ
どマズかった。3分の1も食えず2本とも捨てた。
これは2011年で最もマズかった食べ物になるだろう。しかし、
周囲では同じ物を何人もが平気で食らっている。食文化の違いとい
う物を痛感した。それから地下街などを回ったが特筆すべきことは
無かった。

■前門

いまいちテンションが上がらなかった。今回は失敗なのではないだ
ろうか、と不安が過ぎった。

次は天安門から真南に位置する「前門」に向かった。そこは、清国
末期から中華民国初期の街並みを再現したストリートになっている。
観光用に再現された場所は、どこも味気の無い所が多いがここは違
った。古い写真を元に2008年から整備されたとあって、良く出
来ている。中国の伝統的な建築センスの本領を見た気がした。

また周囲の路地からは、広大なフートンと繋がっており北京ダウン
タウンの風情が漂い、SEX SHOPと書かれた如何わしい店舗
も点在している。さらに再開発途中の区域には古い廃墟とガレキが
連なり、真冬の寒さと相まって退廃的な空気に満ちている。
ようやくテンションが上がってきた。そろそろ太陽も上り切り、寒
さも忘れて歩き回った。

写真を撮ったので以下に載せておく。

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■中関村

寒さで疲労が溜まったので、16時過ぎに一度ホテルに戻った。熱
い風呂に浸かり、日本から持ち込んだカロリーメイトを食べた。ガ
イドブックを読んで次のスポットを探し、再出発前にミニバーのス
コッチを飲んで体を温めた。

陵遅刑の画像で有名なかつて処刑場があった菜子口か、英仏軍に略
奪破壊された円明園に行こうかと思ったが、結局、北京の秋葉原と
称される「中関村」に向かった。
しかし、帰宅ラッシュと重なってか交通状況が最悪になっていた。
おまけに電気屋帰りでデカい荷物を抱えた人や、店員がワゴンで積
荷を運んで右往左往している。おかげで、北京オタクの聖地といわ
れる国際動漫城は発見できずにそこらで店が閉まり始めたので撤退
した。これは無駄足であった。

■三里屯

すっかり夜になったので、ネオンサインが綺麗だというクラブ・バ
ー街の「三里屯」に向かった。各国大使館が多く外国人が最も多い
地域で、また風俗・売春地帯でもある。今回そっち方面に手を出す
気は無かったので、ネオン鑑賞が目的だった。
大使館地域らしく、ロシア風の酒場、アラブ風の酒場、英国風の酒
場が軒を連ねている。客引きなども現れるがスルーすれば付いてく
る事は無かった。

ネオンの灯りを愉しんでいると、ふと久々に日本語が聴こえてきた。
ちょうど日本式のKTVの前で、大きな窓から店内が見えた。中国
人のホステスが、ステージの上で日本の女性歌手の曲を歌っている。
周囲では、似合わねえスーツを着た腐れジャップらしきカタマリが
見えた。あいつらはきっとジャップの腐れ外交官どもであり、目ぼ
しい女を探しては持ち帰ろうとしてるのだろう。

私は、我々国民の税金で、中国女とヤリまくっている連中の現場を
目の当たりにし、怒りが心頭に達した。私に魔法が使えるのならば、
東に眠る毛主席の御霊を揺り起こし、大量の紅衛兵を召喚して、そ
の場に居る人間すべてを撲殺してやりたいと思った。

夜空に星は無く、色取り取りの光と、それを遮る自分の影と怒りを
見詰めながらその日の旅を終えることにした。

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その3へ

北京の歩き方 1

上海、北京、台湾を含めて4度目の中国旅行をした。
年齢を重ねると保守的になるのは避け難いが、同時にあらゆる物事
に刺激を感じ無くなる。
とくに私のような人生に目的を持たない人間は、そういう状態が続
くと重大な精神の不調をきたす。それに対する有効な解決策を私は
海外渡航に見出した。

ヨーロッパは遠く、渡航費は高い。しかし中国は近く、渡航費も工
夫すればいくらでも安くできる。
正直な話、私は殊更に中国や中国人が好きな訳ではない。元々ほと
んど会話の無い旅をしているが、今回はもっとも口数が少なかった。
ではなぜ何度も行くのか? 思うに私は、

世界の最先端を行くような街の風景もあれば、地下鉄と徒歩で少し
郊外に出向けば、まるで核戦争後のように荒廃した風景もある。今
ではすっかり資本主義化したが、社会主義や古代の名残りは、人々
や建物や制度に色濃く残っている。
そういう混然とした場所を、言葉も通じない連中どもを尻目に、勝
手に放浪するのが無性に愉しいことを今回痛感した。

■旅の概要

北京は2度目の訪問になる。前回はオリンピック前で、行動時間は
実質1日だけだったので未練があった。

そんな折、9800円の格安チケットを発見し再訪を決めた。念の
ため価格は航空券のみで、燃油サーチャージや空港使用料、その他
諸々で2万2千円ほどかかった。航空会社はデルタ。

ホテルは安ければ1泊2000円程からあるが、外語力が皆無なの
で日系の京倫ホテルという所を取った。1泊6000円(朝食なし)
で3泊1万8千円。JTBの事前払いを使ったので合計2万ほど。

これに成田までの交通費やら何やらで約5万円ほどかかった。格安
チケットは夜着、朝発なので実質の行動期間は2日間。

■入国からホテルへ

出入国は「地球の歩き方」を読めば問題無いが、個人的につまづい
た点を書く。

機体チェックで成田の出発が遅れ、北京着が30分以上遅れた。空
港から市内までは直通の地下鉄があり、24時程までは走っている。
しかし、市内の地下鉄は23時あたりで終電になるため「三元橋駅」
や「東直門駅」近くのホテルを取っていない限り、ホテルまでタク
シーを使うしかない。
真冬の北京の夜は、気温マイナス10℃以下になるので、徒歩など
は自殺行為である。

地下鉄駅の周辺ではタクシーが客引きをやっているが、どれもガラ
の悪そうな連中でここは避けた。寒さに耐えながら大通りまで歩い
て、適当なタクシーを止めるが乗車拒否。
ぐずぐずしてたら凍死するので、ヒマそうに煙草吸ってるオッサン
に声をかけ、ホテル近くの地下鉄駅の名前を連呼してたら乗れた。

しかし運転が荒い。邪魔な車にクラクションや罵声を浴びせ続ける。
深夜のタクシーは皆こうなのかも知れない。だが、適正価格で望み
通りの場所まで着いた。私を凍死から救った礼としてチップ2元や
る。当時1元は13円ほど。地下鉄の料金は一律2元なので礼には
十分だろう。

ホテルはそこから徒歩3分ほど。天安門広場まで地下鉄で10分足
らずと立地は良い。到着時間は24時を超えていた。

深夜は日本語スタッフが居ないので、チェックイン時の英語を確認。
フロント係は若い中国女だったが、パスポートと予約証書を見せた
ら、「1ナイト」とかホザきやがったので、温厚な私にしては珍し
く強い調子で、「3ナイト!」と言ったら調べ直して、予約通りの
3泊になった。

ここでデポジット(保証金)を払うのだが、上海の時は100元だ
ったので、空港で両替した700元があれば十分だと思ったら、1
000元を要求された。なのでその場で日本円を両替してもらった。
制度が変わったのか、ホテルによって異なるのか分からないが、こ
ういう不測の事態はわりと疲れる。

カードキーを受け取り自分の部屋に向かう。気候のせいなのか、設
備のせいなのか知らないが、触れる金属すべてで強烈な静電気が発
生する。エレベーターのボタン、ドアノブなど、これがけっこう痛
く滞在中ずっと悩まされた。静電気のたまりやすい体質の人はそれ
用の手袋など用意しても損は無いだろう。

日本の自宅を出発して10時間が経っていた。ちなみに時差は日本
のマイナス1時間。部屋のミニバーでビールを飲み、テレビと一体
型のPCでネットをやる。それから浴槽のある風呂に入る。居心地
は良い。今まで行ったホテルで一番かも知れない。

■交通事情+買い物

相変わらず徹底的な車優先である。前回では気付かなかったが、上
海と負けず劣らずゆっくりできない。日中も気温は0℃以下なので
長時間の外出時は、体が冷え切って動かないので注意が必要だ。

オフシーズンの平日とはいえ、中心部は地下鉄もバスも車も自転車
も人もかなり多い。オリンピックの効果か、心なしかマナーは向上
しているように思われるが、車やバイクは相変わらずなので跳ねら
れないように。

現在、地下鉄ではすべての駅で荷物のX線検査を行っており、財布
程度なら問題無いが、バッグ状の物はすべて通す必要がある。普通
なら刃物でも持っていない限り止められる事は無いだろう。
バスと地下以外の鉄道は1度も使わなかったので感想無し。

北京は上海と違い、コンビニが少ないように感じた。私のホテルが
オフィス街だったのもあるが、他の地域でもファミリーマートやロ
ーソンは見掛けなかった。
外国人向けスーパーマーケットはあるが、価格が高く1度しか使わ
なかった。地元民向け商店はイマイチ入りづらい。路上や駅前の売
店は価格表示が無く、交渉が面倒そうなのでパスした。

よって食品類は主にホテルで調達し、必要に応じて携帯した。今回
は買い物自体ほとんどしていない。

以上、滞在中の私見でした。次回は以下を綴っていきたい。

1日目、完全ノープランの北京徘徊。
2日目、血迷った盧溝橋への徒歩旅行。

ライトアップされた天安門
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その2へ

エホバ女、来訪

休日の昼下がり、XBOX360-BF2で支那兵と化し白人野郎と
ドンパチやってたら部屋のドアをノックされた。また大家が
学会パンフレットを持って来たのかと思ったら、若い女の声
がした。最近「エホバの証人」のビラがドアに突っ込まれてお
り在宅の機会を狙っていたようだ。

私はドア越しに返答し、聖書だのカネの醜さだのに適当な相
槌を打っていた。前口上が終わり、本を渡したいとか言い出
したのでドアを開けたらエホバ女が「わー」とか言って両腕
をのけ反らせるようなオーバーアクションで握手を求めてき
た。見ると宗教やらせとくには惜しい、清潔感あるおぼこい
お嬢ちゃんで驚いた。

まるでスポ根漫画に出てくる女子マネージャーのような快活
さで接してくる。彼女は自分の名前を言い、ついで私の名前
を尋ねてきたが偶然同じ姓であり、答えると臭せえ展開にな
りそうなので、はぐらかした。彼女はそれからエホバ本につ
いて解説を垂れ、終わりに、殺し文句のごとく「また来てもい
いですか?」とかほざくので構いません、と返すとおじぎをし
て去っていった。

まあキャバクラやそれ紛いのクソ商売女より、よほど心地良
い接客ではあった。こういうのにほだされて、入信する奴も
いるには居るだろうと思う。

だが「機動する嘆きの壁」こと、この安東洪児がそんな勧誘工
作に乗るわけが無い。私を勧誘したくば、最低フェラチオか
らスタートしなければならない。元々フェラチオとは姦淫の
許されない女僧が男を喜ばせるために性器でなく、口でやり
だしたのが起源だと、私は勝手に思っている。もっとも私は
気持ち悪いのと噛まれそうで怖いのでされたくない。

かつて私は宗教を全否定していたが、人脈を拡げたい奴や孤
独を苦痛に感じるような奴は、適度に宗教を利用するのも一
つの手ではあると感じた。だが、何がしかの、間違っても救
いなどを求めてはならない。

次に出現したら、3000万人以上というもはや神と呼んで差し
支えのない数の人間を死に追いやった毛主席の理論や、中華
ドクトリンとエホバが融合し、凶暴化された太平天国につい
て逆にぶつけて反応を愉しみたい。

なお太平天国の乱でも2000万人が死んでいるようなので、洪
秀全もやはり神だったのであろう。

 

そして1年の時を経てエホバ女がまた現れた。そんな物の存
在はすっかり忘れネットを愉しんでたら、違和感あるドアノ
ックをされ、応答したら前来た女だった。
相変わらず聖書だのキリストだの言い始め、気分が優れない
ので適当に相槌打っていたが突然女が、私に向かってご主人
様とかほざき出して背筋に嫌なモノが疾るが、奴らも形振り
構ってられないのか。

ご主人様に雑誌を渡したいのですが、と言われるが私は寝起
きのままの格好だったので、今はきれいな身形をしてないか
ら、と断ると女が一緒に男の人が来てるので気にしなくても
いいですよ、と抜かしやがった。

てめえ男のヒモ付きで誰様の家に来ていやがるのか?? ブ
チ切れそうになるが、北京帰りのマオイスト、天安門の申し
子たるこの安東洪児に対し、男同伴で宗教勧誘など児戯を絵
に描いて額に入れて飾った挙句、あとは叩き割られるのを待
つような行為だ。キサマらには語録より一回り大きい、軍事
論文選による鉄槌がお似合いだ。

 

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身一つで乗り込んでてめえの信仰を刷り込もうてえのなら話
も聞くが、中途半端に媚びてバックに男が控えてるなんて舐
めたマネをいつまで続ける気なのか。