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北京の歩き方 3

10時前と、少し遅めに起床した。だが気温と体力のバランスを考
えるとこれぐらいで良いかも知れない。
最終日は天津まで足を伸ばすか、あるいは気合で内モンゴルまで長
駆するか。色々と考えるが、リスクコントロールの結果、予定通り
「盧溝橋」へ向かうことにした。

盧溝橋は日中おもしろ大戦の発火点であり、北京郊外の南西部に位
置している。近くには抗日戦争記念館という中国最大の反日スポッ
トがある。館内は反日感情に満ち溢れているだろうから、日本人1
人で乗り込んだらスパイのような気分が味わえるだろうと思った。

市内からバスで1時間ほどの距離にあるが、私はここで一計を案じ
て、ただバスで行って帰ってくるのでは芸が無いから、徒歩で向か
おうと思った。地図を見ると、地下鉄の西端手前で降りたら、後は
ひたすら南に歩けば到達できる。歩きながら郊外の町並みや人々を
眺めるのも一興だろうと思った。

再びホテルの1階で大して美味しくない中華を食い、バッグに水の
ペットボトル1本と菓子パンを1つ放り込んで出発した。

■盧溝橋へ

地下鉄1号線の八角遊楽園駅で降りる。パクリ遊園地として有名な
石景山遊楽園があるが、そんな物は目にもくれない。歩兵が目指す
のはいつも橋だ。
地下から地上に出るとさっそく東南西北が分からなくなった。よく
地図と見比べて南への道を歩き出す。磁石を持ってくれば良かった。

ハイウェイの高架に沿って進んだ。高層ビルの影は無くなり、空が
低く広く見えた。郊外は都心よりも落ち着いた感じで、朝の澄んだ
空気とは言えないけど、黄砂混じりの乾いた空気もまた、大陸風
で心地良かった。寒いが、前日より風は弱い。先は長いがこの開放
感に助けられて足取りは軽い。

[道中写真1]
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しばらく歩くと、軍人の姿が目立つようになってきた。見ると軍の
病院が在ってそのせいだろう。なかなかもの珍しい光景。やがて車
道が大きくなり、高速に入る車と降りる車で慌しくなった。
ここで、南へ通じる道が無くなった。ハイウェイへのランプが複雑
に絡み合って、道が左右二手に分かれている。地図とよく照らして
しばらく悩んだ。過去の経験上、ここでのミスは旅の運命を左右す
る。自分のカンと嗅覚を頼りに決断し、右へ進んだ。

だだっ広い道が続き味気の無い景色が続く。郊外はとても埃っぽく、
たまに水で潤さないとノドに悪そうだ。長いカーブを曲がり切ると
建物が見え始め、目も落ち着く。やたら軍の施設を示す看板が現れ、
巨大な軍用トラックが出入りしている。ぽつぽつと歩いている人間
も軍人ばかりだった。だんだん自分の存在が浮いてきて不安になる
が足を進めた。

鉄道が何本も走り、廃線と現役の路線が交じり合い、時折長い貨物
列車が大きな音を立てて走っていく。

[道中写真2]
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鉄道をまたぐ大きな陸橋を進むと、前方から見るからに野蛮そうな
色黒の老軍人コンビが歩いてくる。
人民解放軍の制服とコートをラフに着崩し、型の崩れたウシャンカ
帽子、胸に1つだけ無造作に付けた勲章が風にブラブラ揺れている。
とてもバンディットな出で立ちで、チベットで20〜30人ぐらい
殺してそうな臭いがする。ふと、殺そう殺そう私は兵士の歌を私に
イメージさせた。

彼らは私を凝視していた。何か言われそうな気がしたが、案の定に
声をかけられた。敵意は感じられないが、無論中国語なので意味は
分からず、私は愛想笑いのようなマネをしてスルーした。
もしかしたら「オメェこんな所で何してんだ? この先は何も無え
ぞ」とか、そんな事を言ったのかも知れない。恐らくそうだったの
だろう。なぜなら、私は道を間違えていたのだから。

陸橋を越えると景色は広がった。長距離トラックの休憩所のような
ボロボロの建物が連なり、酒やタバコを売る商店と汚れた犬がヨタ
ヨタ歩いている。反対側ではトラックの修理場があり、整備中や解
体された車両が四散している。砂とゴミだらけの脇道を進み、この
辺りでタクシーやバスがまったく走っていない事から、道を誤った
のではという気がしていた。

[道中写真3]
f:id:violentvideoinfo:20110202210211j:image

もう2時間は歩いている。引き返すのも無粋だと思い、このまま前
進しようと思った。誤った道を進むのは私の十八番であるし、この
景色も悪い物ではなかった。

この先には、再開発から生じたゴミやガレキを集積した巨大スクラ
ップ場があった。アスベストやPCBやらが大気に混じって体に悪
そうだ。そういうのはテンションが上がる。世紀末の世界に居るよ
うで、何もかもが灰色に見えた。

足が痛くなってきたし、ペットボトルの水も残り少なくなってきた。
そろそろ引き際かと思ったが、まだ歩く。

河川敷のような物が見えてきて、子供たちの遊ぶ声が聞こえる。川
に出れば盧溝橋に向かえるという希望もあったが、土手に上がって
みるとその先には干上がった川底と、枯れた針葉樹林がどこまでも
広がっていた。
あとはボロボロの廃線が川を渡っているだけで、道のようなものは
無く、おおよそ正気の人間が歩くような土地ではなかった。ここで
盧溝橋行きは完全にあきらめた。

それでも少し歩いた。最終的に私は「北京水泥厂」とかいう、謎の
巨大施設にたどり着いた。それはセメントの工場らしく、中国語で
セメントとは「水泥」と書くということを知った。
どうやら私は歴史スポットとはまったく、程遠い場所に来てしまっ
たようだ。泥水にまみれ、枯れ果てて、まるで我が人生の行く末を
暗示しているような風景を見に来たのだった。

ことのお終いに、私は水の流れない川に架かる、味も素っ気も無い
橋を渡ることにした。

■後日談

足をパンパンに腫らしながら、少しはルートを変え、出発地点まで
歩いて戻った。途中でスラムやら軍施設に迷い込んだりしたが、無
事に帰った。帰国してから、自分の足跡をグーグルアースで調べた。

ブルーが想定上のルートで、実際に私の歩んだ道程はピンクである。
早い段階で大きく西にずれているのが分かる。
しかし、ブルーのルートで果たして辿り着けたかは大きな疑問があ
り、始めから歩いて行くなどというのは無謀なマネであった。

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■帰国

夕方にホテルに帰った。疲れ果てて、もうそれ以上は動けなかった。
何だか5度目でようやく理想の旅ができたような気がして、他人に
薦められるような物では無いが、満足であった。

夜になって最後に天安門へ行き写真を撮った。あまった小銭をホー
ムレスに寄付しようと思ったが、寒さのせいか見付からなかった。
ホテルに戻って何故か興奮状態に陥り、なかなか眠れずにたくさん
ビールを空けて寝た。
そして、何のトラブルも無く飛行機に乗り込み、私は帰ってきた。

以上、北京の歩き方でした。